ジープ誕生8
軽量ジープ登場
 米軍は1941年のプロトタィプの時代、ジープが当初予定した重量を越え、しかも次第に重くなっていったことについて決して諦めたわけではありませんでした。
ジープのサイズと重量は当時の兵士の体格や輸送手段(舟艇、航空機、トラック等)のキャパシティ等から規定されていたのですが、オートバイのように軽量かつコンパクトで素早く最前線に投入出来る車両の研究は途切れながらも継続されていました。

 戦時中グライダーによって敵の後方に落とし、兵士達の足として使用する目的で数種類の超軽量ジープが試作されたり現在でもジープのように小型トラックとしての使用を考慮することなく、快速によるヒット・アンド・ランだけを目的としたFATなどが造られています。

 戦後、車両や火砲のヘリコプターによる移動が可能となった時期に米軍のジープの歴史の中で異色ともいうべき「ジープ」が制式化されています。1960、61年に海兵隊だけに約6,000台装備されたM422、M422A1「マイティ・マイト」がそれです。

 アメリカン・モ一タースがベンジャミン・グレゴリーというカー・デザイナーのアイデアをとり上げて試作し、軍に売り込んだのが最初で、試作車はポルシェの空冷水平対向エンジンを備え、全長わずか2メートル80、車両重量750キロと今日のジムニーに近い重さの車です。


M422

これはボディだけでなく、エンジン、ミッション、その他に可能な限り当時非常に高価だった強化アルミを使用することによって実現したもので、量産車にはウイスコンシン社製の1,700cc空冷V4を搭載、サスペンションは縦置きカンチレバー方式、初期型にはカンバス・トップもつかないという徹底したユーティリティ思想の産物で、次々と新しいアイデアをとり上げる米軍のなかでも異色の「ジープ」でした。

ただし陸軍はこのような軽量車では火器、特に機関銃、無反動砲が積載できない、ということと、コストパーフォーマンス的に合わない(同時期に採用を予定していたM151に比べて高価だった)という理由で採用しませんでしたが、必要があればただちに緊急展開する任務を負った海兵隊が関心を示したのです。

 マイティ・マイトは軽量ゆえに驚くべきオフロード性能を持っています。特に登坂力だけはどのジープよりも強いのですが、牽引力があっても軽量のため粘着力がない、軽過ぎてコーナリングが危険など、使用範囲が限定されます。前期生産型は極端なショート・ホイールベースのM422、後期型はその改良型でホイールベースと全長を約15センチ延長したM422A1に別れます。

M422はいわば「ジープ」の変種ですが、まるで大型オートバイのような空冷独特のエキゾースト・ノートとサイズに似合わない豪快な走りや、アルミ・ボディですっぽり覆われているため錆に強いなど実に興味深いジープです。


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