ジープ誕生5
フォードの動静
 ジープの開発に関するフォードの関与はあまり明らかにされていません。
社長のヘンリー・フォードは乗り気ではなかったが、息子のエドセルが熱心に押し進めた、というのが定説になっています。

 フォードははじめはバンタムとウイリスの競争を静観していたといわれますが、実際には入札の時から納期を無視して試作車を造っていただけでなく、補給部の一部の将校は暗にこれを指示していたという記録も残されています。
しかもウイリスより10日おくれた11月23日にホラバードに納車し、ヘンリーは裏で政治的に動いてこの開発競争の結果を一人占めしようとしたという説もあるほどです。

いずれにしてもフォードはジープの大量発注に並々ならぬ意欲を示していたことは疑いありません。
こうして搬入されたフォードの試作車は、手持ちの小型トラクターのエンジン9N(1,950cc)を搭載し、フレーム、ボディを新製したもので「ピグミー」というニック・ネームをつけ、子会社のバッドに試作させたボディを載せたものと一緒にテストを受けています。

 フォードはその少し前にモデルAというベストセラ一・カーを持っていましたから、このモデルAをべ一スに開発するのではないかという噂もありましたが、ビグミーは全く新しい車で、アクスル、ミッションをスパイサー社に外注したほかはタイアを含めてすべて自社製品でした。
尚、興味深いことにソ連がジープを真似て造ったGAZ67BがこのモデルAをべ一スにしています。

 ピグミーのオフロード性能はバンタム、ウイリスに比べてやや劣ってはいたものの、関係者を驚かせたのはいかにも世界最大の乗用車のメーカーらしく、巧みなプレス技術によってボディ剛性を高めてあり、乗り心地がよく、レッグ・スペースも抜群に広く、しかも取り扱いが容易だったことです。(これはレストア済みのGPを半日運転してみただけでも分かります。大塚)。

更にすべての技術者にフォ一ドの実力を印象づけたのは、それまでなかった斬新な設計、特にフロント・グリルの中にヘッド・ライトを納め、ボンネットをフラットにしてその後のジープのデザインを決定的にしたアイデアでした。
現在「ジープ」と呼ばれる車のデザインに最も大きく貢献したのは実はフォードだったのです。

フォードはその後更にフロントのデザインを整理し、軽量化したGPを送り込みますが、これを見たウイリスがただちに模倣して初期のMBのデザインに取り入れたのは有名です。
この頃になると「ピープ」「ジープ」というニックネームが普及して行き、軍は来るべき小型4X4トラックのあるべき姿を決定する判断を迫られていましたが、もう時間は差し迫っていました。

 陸軍は時間稼ぎに各社に1,500台ずつ発注して、参戦を控えて急速に拡大して行く米軍からの要請と、連合国各部隊にMA、GP、BRCを送り届けたのです。
GPは1941年2月までに合計3,550台と3社のプロトタイプの中には最も多く製造され、生存率も高く、現在200台以上が世界中のコレクターの手にあるといわれています。

フォードの第1号車「ピグミー」。
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