ジープ誕生2
バンタムの健闘
 テストはパイロットの到着した日から始められました。
テスト・ドライバーは交代で段差や、かまぼこ道路、湿地や砂丘などのハザードを含めたテスト・コースを5,500キロも走り抜き、その間にまず軽量化のために肉厚を抑えた部分が破損、スプリングは何度も折れ、ジェネレーターやミッションにもトラブルが発生しました。

しかし、バンタム社の技術陣はその度に応急修理を行って更に厳しいテストを重ね、続けて送り込まれた数台の試作車はいずれも好成績で、陸軍はこの車を発展させたものを採用することを決定しました。バンタム社は10月に最初の契約700台(−台あたり2,445ドル、パイロット・モデルを含む)を獲得し、ジープの歴史を切り開いたのです。

バンタム7号車。現在ワシントンのスミソニアン博物館に保存されている

 その頃はまだ「ジープ」という名称は定着していませんでした。
当時は「バンタム偵察車」と呼ばれていたのです。

ここでいかにもアメリカらしいことが起こります。実は発注者の陸軍補給部はバンタムパイロット・モデルが納入されるとすぐに図面をウイリスとフォードに渡し、両社の技術者をテストに立ち会わせて両社にも試作車を早急に製造するよう要請していたのです。

軍の要求する調達台数はバンタム一社では到底応じ切れないことははじめから明かだったからですが、ウイリスとフォードはこれをこえる車を造る能力があることも計算の中に入っていたのです。
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