ベンチャーメーカーの悲劇 | |
当て馬にされたバンタムは、のちウィリスとフォードが参入するとわずか2,745台を生産しただけで契約を打ち切られ、ジープ用トレーラーの生産をすることになってしまいました。 2,745台の内訳はパイロットー台、プリ‐プロダクション・モデル(バンタム・マークIと呼ばれる)が69台、量産型のBRC‐40(Bantam Recoinnassance Car)が2,675台となっており、BRC‐40の殆どはMB/GPWが出て来るまでの短い期間アメリカ各地でジープ運用訓練に使用された後、援助物資としてソ連と英連邦軍に送られました。 ベンチャー・メーカーとしてのバンタムの先進性と、小企業だったぱかりに落後した悲劇性はいまでも(欧米に)強い共感を持つ人がいて、マニア的な人気があり、元ルーマニアの国王夫妻などは2台も所有しています。 ![]() 2675台製造されたバンタムBRC−40。 | |
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