ジープ誕生
競争試作
 ジープの誕生は1940年(昭和17年)7月11日、アメリカ陸軍補給本部が自動車メーカー135社に送付した「小型偵察指揮車入札案内」に始まります。

この時点では破竹の勢いで南方進出していた日本軍はくろがね4起を、ヨーロッパを席巻していたナチ・ドイツ軍は4X2とはいえ軽量化に成功していたキューベル・ワーゲンを持っていましたので、連合軍の補給廠の役割を担うこととなったアメリカも似たような小型車両を早急に開発しなければならない事情があったのです。

 陸軍の要求するパイロット・モデルは全備重量590キロの4X4で、納期は厳密に9月23日と決められており、このような条件ではフなテストで知られる米軍の要求を満たすことは不可能だと考えられていたため、結局入札に応じたのは中規模のメーカーだったウイリス・オーバーランド社と、当時従業員15人の零細企業だったアメリカンバンタム社だけでした。

英国のオースチン・セブンのノック・ダウン販売と並行して自社開発の小型ロードスターやバンなどを製造していたバンタム社は小型車の製造ではある程度自信があったのです。

同社はこのために設計担当者として、著名なレーシング・カ一のデザイナーだったカール・プロスト氏を招くとともに、社運を賭けて昼夜兼行で試作車を完成させ、9月23日に軍が指定したメリーランド州ホラバードのテスト場に自走で搬入しました。

 バンタム・プロトタイプはコンチネンタル製1,820cc、45馬力のエンジンとスパイサー社のアクスル、ファーケースを備え、フレーム、ボディは手造りでした。

こうして納期だけは守られましたが、重量は940キロと大幅に増えていました。
これでも軍の要求する過酷な使用に耐えるにはテストの度に各部を強化せざるを得ず、以後軍は重量増には妥協を重ねて行くことになります。

バンタム1号車。まだジープとは言えない形をしていますが
他のメーカーを刺激してジープの誕生を促しました。   
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