| 【 は じ め に 】 | ||
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この青葉山公園整備計画は、昨年11月21日付け河北新報朝刊で、突然報道され、何も知らされていない川内追廻住宅の住民の中に大きな衝撃が走りました。 町内会は、住民全員集会を開き約450世帯の内3分の2の住民が参加して意見を出し合いました。 市の一方的なやり方に対する怒りとともに、特に高齢者の人たちは「ここで生涯を終えたい」、若い人たちの中にも「高齢者を置いて出ていくわけにはいかない」等、住み続けたいという意見が圧倒的に多く出されました。 この青葉山公園整備計画の中身ですが、すでにマスコミ等で報道されているのでご存知かと思いますが、公園の現状と問題点をいくつか述べてみたいと思います。 |
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| 【 計 画 の 中 身 と 疑 問 】 | ||
計画は、20年間を2期に分け、第1期計画を267億円かけて、平成9年度から平成18年度までの10年間で完成させたいというものです。 この1期計画に盛り込まれた内容は、市側の説明によると、緊急性、実現性、整備効果を踏まえ、優先度の高い施設として、 (1) 追廻住民移転跡地に、「水と緑の館」・「平成の庭」をつくる。 (2) 現在のテニスコ−ト・バレ−コ−トをつぶして、「いこいの広場」と乗用車450 台、大型バス25台収容できる「駐車場」をつくる。 (3) 竜の口の入口に、自然をこわして「自然観察館」と、45人乗りのエレベ−タを地 中に2基つくる、亜炭を掘った穴だらけの山の中にです。 (4) 米駐留軍によって埋め立てられ、現在更地になっている「中島の池」を復元する。 (5) 天守台の石垣の修復、五色沼、長沼の整備等です。 「青葉山公園」は、すでに昭和28年4月1日に設置され、その後個々の区域を増やし、事業決定し、平成7年度末現在「40.9ha」が供用されている、公園として開園し市民に利用されているものです。 町内会としては、この第1期計画を白紙に戻して、もっと住民、市民の意見を聞いて計画を練り直せと要求しています。 なぜなら、450世帯の全住民を移転させることが前提となっているばかりでなく、竜の口渓谷入口や隣接する「特別環境保全区域」の自然をこわさないでほしい。 現在、竜の口渓谷入口は市の資材置き場にしているけれど、今の公園として整備してほしい。あの周辺を歩いて視て下さい、ゴミだらけ、壊れた自動車が2台不法投棄され、永い間放置されたままです。 だいぶ前からふくらんできた天守台の石垣の修復は必要であり、早急にやるべきです。 五色沼・長沼、今ここは町内会や老人クラブの人たちのボランティアで掃除をしていますが、早急に整備してほしい、現行のままで出来るのです。 「中島の池」は、ここの区域の事業認可をとって復元してほしいと思います。 市の 計画では、艮櫓(うしとらやぐら)とか懸造(かけづくり)とかの復元も入っていますが、これらがはたして歴史的・文化的価値のあるものなのか疑問視するむきもあり、もっと議論する必要ありと思っています。 |
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| 【恵まれた自然と住民は共生出来ないのでしょうか】 | ||
なぜこの公園計画の予定地に住民が50年間住み続けているのかということでありますが、この住宅は、終戦の年、昭和20年11月の、政府の「住宅緊急措置令」に基づいて住宅営団が、海外からの引揚者や、戦災者のための住宅として建てられたものです。 昭和20年11月に建設が始まり、昭和21年4月の第1次入居から、昭和22年5月まで、620戸、3千人の住民の生活が始まったのです。 今では想像もつかないと思いますが、電灯はない、水道もない、家の中は畳なしのワラ敷き、壁は段ボ−ル紙か、かんな屑をセメントで固めたテックス、それでもみんな協力し、助け合って、どうにか人間らしい生活を築き上げてきました。 町内会20年史、30年、40年の節目に町内会史を編纂していますが、その20年史の巻頭に、編集委員であり長い間町内会の顧問をされた故狩野兼雄氏の歌に 「リュック負い、アジアの果てより辿りつき 隣人となりし 3,000の住民」 「藁(わら)じきの、寝床なりしも屋根あれば リュックおろせしときの感激」 と、あります。 昭和23年、住宅営団の閉鎖に伴って、市に住宅を買い取ってほしい旨の要望が出されたが、市はこれを拒否し、住民各自に払い下げることとなり、なけなしの金をかき集め、借金をしてまで手に入れた直後の、昭和24年、ここ追廻住宅を含む「青葉山公園計画」が、すでに昭和21年11月に都市計画決定されていたことを知らされ「全くのダマシ討ち」に合い、住民は驚き、怒り、それ以降公園化反対の運動を続けてきました。 「新しき仙台市地図に、ただ白し 3,000人の生活ある追廻住宅」 追廻住民は、仙台市民であっても市民扱いされていないと、今でも多くの住民は思っています。 「アヒル小屋スラム街よとののしるばかり 今尚政治の外におかるる」 最初は建物の改築も許可されず、ねばり強い運動の結果、昭和47年にやっと建築確認が下りるようになり、1年で150軒の家が新築されました。 住宅金融公庫の融資が受けられるようになったのは、昭和52年2月からです。 水道も、道路の舗装も、側溝整備もすべて住民がお金を積立、住民の手で解決してきました。 幹線側溝の整備は、当時は土側溝、素堀側溝でしたが、当初市から拒否されてきましたが、全住民の署名、議会請願等、住民の運動で昭和52年にやっと実現しました。 今現在も下水道は整備されておらず、国際センタ−の前をバキュウムカ−が走っております。 道路舗装の補修もやってはくれず、アスファルトを買って自分たちの手で補修しています。 住民の生活環境改善要求は、公園計画を盾に、市は拒否し続けています。 戦後50年、青葉区で一番の高齢者の街になり、4人に1人が65歳以上です。 一人暮らしの人、老夫婦だけの世帯数は100軒近くあり、3万〜4万円位の年金で暮らしている人も多くいます。 しかし、みんな助け合いながら、踊りやカラオケ、ゲ−トボ−ルクラブ、老人クラブ、つり愛好会などいろんなサ−クルやクラブをつくったり、お祭り、盆踊り大会などで楽しく暮らしています。 昨年、80歳の一人暮らしの老人が家の中で倒れているのを、たまたま向かいの人が栗ごはんを作ったので持っていって発見し、命をとりとめたということがありました。 昨年暮れ、94歳のおばあさん、一人暮らしで元気なおばあちゃんでしたが、息子の所に引越していった後元気をなくし、追廻に遊びにつれてくるようになって又元気を取り戻し、いまは町外から老人クラブに再度入れてほしいということでかよって来ています。先日の集会でも、80歳の一人暮らしのおばあさんですが「子供に来いと言われているが、私はここで死にたい、皆さんにご迷惑をかけるかもしれないがよろしくおねがいします。役員の方々には本当に感謝している。」と言われました。 こうした人たちをバラバラに放り出すことは許されないと思います。 移転補償で勝手に出て行けということは、高齢者に死ねと言うことです。 50年という半世紀に亘る年月を無視し、450世帯が現に生活しているのを立ち退かせることが、どれほどの緊急性があると言うのでしょうか。 仙台市民の共有の財産であるこの自然をこわすことなく、私たち住民がこの自然といかに共生していけるのか、ここに視点をおいた公園計画を検討することこそが行政の責任ではないのかという思いでおります。 |
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| 【森の都にふさわしい街を】 | ||
仙台駅を中心に東側も西側もコンクリ−トのジャングル化し、「仙台」の都市格がなくなってきた感がします。 人に人格がある様に都市にもそれぞれ都市格があるはずだと思います。 仙台市の各地でも、その地域の伝統を守り、地域社会の絆を守り、人間らしい営みを守り発展させようと、様々な運動も私たちは知っています。 多くの市民の方々にも私たちの立場を理解していただく運動も進めていくつもりです。 |
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