1. 手続き上の問題 現在の都市計画は旧法に基づいて策定されたものであり、新法の施行法第2〜7条に経過措置を定め、「新法の規定による相当の都市計画とみなす」となっています。 しかし、旧法には新法の第16条(公聴会の開催等)にある計画に当たって「住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。」という条項はなく、計画決定は「都市計画審議会」の議を経て主務大臣が決定し内閣の認可を受けるべし、となっており関係住民の意見等は全く反映されない仕組みとなっていのです。 都市計画法 資料 新・旧法の該当部分 |
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2. 公園計画決定を住民には一切知らせず 住民に住宅を購入させた市の責任と行政上の差別 昭和20年11月追廻住宅建設がはじまる。 昭和21年4月、追廻住宅第1次入居〜22年5月、「約六百戸、四千人が生活」、電灯なし、畳なしムシロ、水道もなし、壁はボ−ル紙やテックスそれでもみんな協力し、助け合ってどうにか人間らしい生活を築き上げてきました。 昭和23年、住宅営団の閉鎖に伴って、家は各自に払い下げられることとなり、なけなしの金をかき集め、借金をしてまで手に入れた直後、昭和24年ここ追廻住宅を含む「青葉山公園計画」が明らかされ、「全くのダマシ討ち」に合い住民は怒りました。 その後の追廻住宅住民の生活環境改善の要望等、市当局の差別的な対応に、私たちは自力で「街」づくりに努力し、現在を築いてきたのです。 市当局の「ダマシ討ち」と、その後の差別的対応と人権無視の行政責任から言っても、今回の第1期計画は白紙撤回すべきです。 |
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3. 情報公開をしてほしい。 今回の公園計画のそもそもの基本となった「戦災復興院告示第244号」と昭和21年10月9日の「都市計画地方審議会」に付議した市の計画書及び関係図書を開示してもらいたい。 行政側が、真剣にこの追廻住宅のことを考えているなら、今回のような唐突に記者発表などやる前にこう言う「都市計画」に基づいて、こんな公園計画を検討している等、事前に新都市計画法第16条に規定しているような対応をしていたなら局面は違っていたのではないかと思います。 追廻住宅の立ち退き、緑地化・公園化反対、ここに永住したいという我々住民の切なる要求は、戦災、海外からの引き上げという歴史的な背景を背負ってどれほど切実な要求であるかは、市当局も痛いほど知っているはずです。 法的な手続きは完了していると言うかもしれないが、人にやさしい街づくりを言うのであれば、もっと心のかよった、あたたかな対応であってしかるべきではなかったかと思います。 新法の精神に則った対応をすべきではないでしょうか。 |
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4. 第1期計画そのものについて この第1期計画は、公園整備の目的、緊急性、実現性、整備効果等を踏まえ優先度の高い施設として8項目をあげています。 真っ先に目に入るのは住民立ち退きの項目だが、50年間と言う半世紀に亘る年月を無視し、450世帯が現に生活しているのを立ち退かせるというもので、これがどれほどの緊急性があるものなのだろうか? このすばらしい自然の中で、仙台市民の共有の財産でもあるこの自然を壊すことなく、ここの住民が自然といかにして共生していけるか、ここに視点をおいた公園計画を検討する事こそが行政の責任であると思います。 「平成の庭」等元々なかったものでり、「水と緑の館」の計画は片倉小十郎の屋敷跡と言われている所でありますが、それの復元を考えているとするならば、元になる図面(絵図面、柱等の測量図)を提示していただきたいものです。 こうした計画がはたして「歴史の街」のシンボルとなり得るのか、450世帯を追い出してまで作る価値ある大事なこととは思われません。 「いこいの広場」、「駐車場」はバレ−コ−ト・テニスコ−トをつぶし、その跡地ということですが「平成13年の国体で使う。その後は別の場所に移す。」と説明にあります。 ここは中田中学校のホ−ムグランドになっていると聞いていますし、残せという声も聞かれます。駐車場についていえば、テニスのない時に現有の駐車場を使わせれば良いかと思います。 竜ノ口渓谷入り口付近には自然観察館と地中エレベ−タ、45人乗りを二基作るという計画ですが、自然破壊につながりかねないし、現に枯れている樹木もあります。枯れている樹木の更新と維持管理をきちっとやることが先ではないのでしょうか。 石垣の修復工事や五色沼・長沼の整備、これまで放置してきた管理責任をきちんと行い、早急に整備すべきであると思います。 これらは、すでに「総合公園」として「都市公園公告面積40.9ha」に含まれ、開園し市民に利用されています。 改めて「青葉山整備計画計画」を策定し、事業計画に組込む必要はありません。 現行公園の維持管理の範中で早急に整備すべきものなのです。 |
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| 2. 都市計画法・都市公園法・住宅政策関係法制度の変遷 | ||
| 年 表 | 都市計画・公園・住宅に関する法令 | 社会背景 |
| 1919年 (大正 8年) | 4月 5日(旧)都市計画法(1968年6月15日 廃止) | |
| 1923年 (大正12年) | 特別都市計画法(時限立法) | 関東大震災 |
| 1941年 (昭和16年) | 住宅営団法(昭和24年失効) 1951年(昭和26年)4月1日 廃止 1951年(昭和26年)年6月4日公営住宅法 | 第二次世界大戦 |
| 1945年 (昭和20年) | 11月 5日戦災復興院設置1947年(昭和22年)廃止 11月21日住宅緊急措置令1952年(昭和27年)廃止 | 8月15日 終戦 |
| 1946年 (昭和21年) | 9月19日特別都市計画法1954年( 昭 和29 年)廃止 | |
| 1947年 (昭和22年) | 12月26日建設院設置 1948年( 昭 和23 年)廃止 | |
| 1948年 (昭和23年) | 7月 8日建設省設置 | |
| 1956年 (昭和31年) | 4月20日都市公園法公布10月15日施行 | |
| 1968年 (昭和43年) | 6月15日(新)都市計画法1969年(昭和44年) 6月14日施行 | |
| 3. 青葉山公園の変遷、都市計画決定とその動き | ||
| 年 表 | 都市計画 | |
| 1946年 (昭和21年) | 10月 9日:市の計画を都市計画地方審議会に付議 (「 都 市 計 画 審 議 会 令」T8制定S44.6 廃 止) 11月11日:戦災復興院告示第244号都市計画決定 (仙台総合運動場) 221,488平方メートル(22.2ha) |
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| 1947年 (昭和22年) | 2月17日:特別都市計画法による緑地帯指定 | |
| 1954年 (昭和29年) | (1954)2月 宮城県護国神社境内 6.9ha無償借地 | |
| 1955年 (昭和30年) | 11月10日:建設省告示 第1293号 (「青葉山公園」に名称変更) | |
| 1956年 (昭和31年) | 5月17日:旧三の丸跡(博物館)、五色沼一帯大蔵省から無償借地 56,745平方メートル(5.7ha) |
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| 1958年 (昭和33年) | 7月29日:米駐留軍撤退、射撃跡地 8.3ha大蔵省から無償借地 建設省告示 第 126号をもって事業決定 |
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| 1959年 (昭和34年) | 建設省告示 第 126号をもって事業決定 建設省告示 第1265号 (区域変更) |
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| 1960年 (昭和35年) | (1960)7月21日建設省告示 第1431号 (区域変更)二の丸跡事業決定 17,740平方メートル(1.8ha) |
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| 1961年 (昭和36年) | (1961) 3月 2日建設省告示 第 260号 (区域変更) | |
| 1962年 (昭和37年) | (1962) 7月 7日建設省告示 第1544号 (区域変更)大手門隅櫓地区追加(5.ha) 10月30日建設省告示 第2505号 旧工兵隊跡地 6.2ha事業決定整備 |
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| 1969年 (昭和44年) | (1969)11月12日建設省告示 第3646号 法第18条3による市を都市計画区域に建設大臣指定 | |
| 1976年 (昭和51年) | (1976) 8月20日 宮城県告示 第 808号 (区域変更)373平方メートル減、503,517平方メートル(50.4ha)へ | |
| 1977〜78年 (昭和52〜53年) | (1977〜78)宮城県護国神社境内地(天守台地区)4.2ha買収 | |
| 1978年 (昭和53年) | 6月 8日 仙台市告示 第 211号 西道路工事で一部用途変更 (旧工兵隊跡373平方メートル) |
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| 1982年 (昭和57年) | 1月26日 宮城県告示 第 100号 (種別・名称変更) | |
| 1988年 (昭和63年) | 3月31日 公園区域南西地区竜の口及び南奥山区域(12.9ha)を無償借地 | |
| 1990年 (平成 2年) | 2月19日 大橋通り 0.2ha借地 | |
| 1995年 (平成 7年) | 平成 7年度末現在、総合公園として50.4haを都市計画決定 | |
| 計画の内「都市公園公告面積」:40.9ha 主な公園施設:庭球場、バレ−ボ−ル場、仙台市博物館 仙台市国際センタ−、宮城県スポ−ツセンタ− 彫刻(「三世代」、「逓−昨日・今日・明日−」) 都市計画区域内未取得整備面積は、追廻地区7ha、中島地区2.5ha (追廻地区7haの内住宅分は約半分の3.5ha:財務局談) |
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