● 市内で配った広報文 ●

市民のみなさんへ

私たちが追廻住宅に住み続ける理由を知って下さい
青葉山公園計画について

      --私たちの立場--
☆ 昨年(乎成8年)11月、仙台市が突然発表した
 「青葉山公園基本計画」。この中には、戦後50年
 間住みつづけてきた私たち450戸、約1、500
 人の住民を問答無用のやり方で追い出し、日本庭園
 を造るという内容が含まれております。
☆ 整備期間は、20年。その内平成9年度から10
年間を住民追い出しを含め第1期計画としています。
 私たちは、とりあえずここ追廻地区については第
1期計画からはずし住民と話し合って欲しいと、市
に要望をしていますが聞き入れてはくれません。
☆ 私たちは、天守台の石垣の修復は必要であり、早
 急にやってほしいし、五色沼や長沼周辺、南部奥な
 どすでに公園として市民に利用されている地区の整
 備はやってほしいと願っています。
 あらためて県知事の認可を取らなくても整備は出
 来るのです。
☆ 仙台市は、私たちとの話し合いの途中にもかかわ
 らず、6月2日に県知事に「事業認可」の申請をし
 ましたが、私たちの意思を踏みにじる暴挙と言わざ
 るを得ません。申諸を取り下げて誠心誠意話し合っ
 てほしいと願っております。
☆ 計画は、267億円をかけて「自然観察館」や大
 型の地中エレペータを2基つくる、テニスコートを
 つぷして駐車場にする等となっております。
  いま、国をあげて財政危機がいわれている中で、
 自然破壊にもなりかねない公園つくりに267億円
 もの血税を投入すべきではないと思います。

   戦災・引揚げ、追廻にきてから今日まで   
● 追廻住宅は、終戦の昭和20年11月、厚生省所
 管の住宅営団が、戦災者や外地からの引場者のため
 の住宅を建設し、翌年4月の第1次入居から22年
 5月頃まで、620世帯が入居しました。
● 昭和23年、住宅営団の閉鎖にともなって浮上し
 た住宅の買い取り問題で、市側はこれを拒否し、や
 むなく住民は、なけなしの金と借金で手に入れた直
 後の昭和24年、追廻住宅を含む「青葉山公園計画」
 が、すでに昭和21年の都市計画で決定されていた
 ことを知らされ、市の「だまし討ち」に住民は怒り
 それ以来「公園化反対」の運動を続けてきました。
● 昭和28年には天守台周辺の公園化と追廻住宅の
 立退き問題が市の土木部長発言として報道されたが
 住民には一切知らされませんでした。
  その後、昭和37年に「自然動物園」計画が突如
 として発表されたが中止となり、翌38年には、住
 宅の南奥地の一部を公園計画から除外して4階建て
 アパートを建て、360戸を入居させ残り240戸
 は立退けという計画が提示されたが拒否しました。
  昭和46年、市は立退き料を提示してきたが、こ
 れも拒否しました。
● 住宅営団が解散した昭和26年から、住民は、国
 (東北財務局)と土地の借地契約を締結し、これま
 でも借地科としてお金を支払い、契約更新を重ね、
 平成18年まで借地契約を結んでいます。

 質問と疑問にこたえて 
     
仙台市が国から買い取りを断ったので私たちが買い取ることとなりました。
 私たちが五十年間住み続けてきたこの住宅は、終戦の年、昭和二十年十一月 政府の「住宅緊急措置令」に基づいて住宅営団(住宅都市整備公団の前身)が 海外からの引揚者や戦災者のための住宅として建てられたものです。
 昭和二十年十一月に建設が始まり、昭和二十一年四月の第一次入居から、昭 和二十二年五月まで、六百二十戸三千人の住民の生活が始まったのです。
 昭和二十一年八月頃、住宅営団の閉鎖が浮上し、住民は市に家屋の買い取り を要望しましたが拒否され、やむなくなけなしの金をかき集め借金をしたりし て家屋を買い取り、安堵した直後の昭和二十四年、追廻住宅を合む「青葉山公 園」計画がすでに昭和二十一年十一月に都市計画として決定されていたことを 知らされました。
 市は、計画決定を住民に知らせなかったのです。
しかも、当 時の都市計画決定の手統きに必要な書類や図面は、市にはないと言うことです。

 平成十八年まで借地契約を結んでいます。 
 私たちは、正当に住宅を取得し、くらしているのです。
 みんな苦労して建物を買ったのに、不法に居座り続けているかのような印象 を持たれていをのは残念です。
 建物は住民のもの。土地は国のもので、「借地法」に基づいて借地料として お金を支払、財務局と契約更新をしてきました。
 現在の契約期間の大半は平成十八年九月三十日となっております。

町内の道路舖装、側溝等は私たちが自力でつくりました。
追廻住宅に入居した当時の街の様子は大変な状況でした。
いまでは想像もつかないと思いますが、電灯じゃない、水道もない、座敷には 畳はなくムシロかわら敷き、壁はダンボール紙、雨が降れば泥んこ道、排水溝は 巣掘の土側溝という状況でした。
 入居後間もない昭和二十一年五月、先輩たちは「追廻住宅住民会議」を結成 し「電灯をつけろ、畳を入れろ、食料配拾所、郵便局、託児所をつくれ」等を 掲げて、生活の環境つくりに住民みんなが協力し、助け合って、どうにか人間 らしい生活を築き上げてきました。
 保育所の自主開園と運営、泥んこ道の中央大通りの舗装、市水道の共同水栓 消火栓設置等、住民運助の結果いくつかが実現しましたが、その他各戸への水 道、道路舗装、側溝整備等、私たちの生活環境整備の要求はことごとく拒否さ れ続け、やむなく住民がお金を出し合い、住民の手で解決してきました。
 建物の増改築も許可されず、ねばり強い運助の結果、昭和四十七年にやっと 建築確認が下りるようになりました。住宅金融公庫の融資が受けられるように なったのは、昭和五十二年二月からでした。
 道路舖装の補修もやってはくれず、アスファルト材料を買って自分たちの手
で補修しています。
いま現在も下水道は整備されておらず、国際センターの前をパキュウムカー
が走っています。市は、公園整備を盾に拒否し続けているのです。
 私たちは、市民税、固定資産税、都市計画税もみんな払っています。
追廻の住民の多くは、仙台市民でも市民扱いされていないと思っています。

公園計画に至る住民との話し合いは全くありません。
 平成九年二月二十五日の市議会本会議で、市長は青葉山公園計画に関す る質間に対して「昭和三十年代から地元と話し合いを進めており..」と答 弁しておりますが、全くのデタラメです。
 追廻住民の環境整備要望での話 し合いや動物園、アパート、立退き料の話しでしかありません。
 今回の全住民立退きを前提とした公園計画も突撚の発表であり、私たち にはなんの話しもありませんでした。
市長は、議会で「住民とは誠心誠意話し合いを」とはいうものの、計画 のおしつけだけで、私たちの意見には一切耳を傾けようとはしません。

 外地から引き揚げて来て、追廻住宅に住んで
から五十年になります。
 内地に帰ってきても住む家もなく、姉の家に
親子七人が八ケ月もお世話になりました。
 その間、毎日のように市の住宅課に行き、お
願いして、ようやく人並みの生活が出来るよう
に住宅を借りることが出来ました。
私も今年、九十歳の年寄りになりました。
今更、何処へ行けと言うのでしよう?
住み慣れた追廻で一生を終えたいと思います。
百万市民共有の財産にするんたと市長さんは
言っているけど、その前に現在住んでいる住人
の命を守って下さい。お願い致します。
           =一老住民=

 昨年十一月、市側から突然「青葉山公園整備
計画」が発表されて以来、追廻住宅親和会とし
て緊急役員会をはじめ、全住民の話し合いを重
ね、その意見を受けて対応と進めてきました。
今回の問題は私たちにとっては大変重大な問
題で、特に高齢者にとっては、永い間の絆を失
うこととなれば耐えられない苦痛となります。
私たちは、お互い色々な考えかあっても、そ
れを出し合ってよく話し合い、町内の力を一つ
に「結束」して今後に対処していきたいと考え
ています。
市民のみなさんにも、この地区の永年の経過
をご認識下され、ご支援の程をお願いします。
      追廻住宅親和会会長 永澤 勁

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