文化庁のご配慮のもと、二〇〇一年度から五カ年の計画(第一期)で、仙台城跡の学術調査に国庫補助が付けられましたことを、仙台市民として嬉しく受けとめております。仙台市はこれまでにも、仙台城跡を国指定史跡とすることをめざすと公表していますので、この調査によって仙台城跡の遺構の全体が確認され、国指定史跡への第一歩を踏み出すことになると期待しております。
しかし現在、仙台市が進めている青葉山公園整備事業は、以下に指摘しますように、本丸跡の遺構調査も不十分なまま進められようとしています。また、歴史的根拠の極めて薄弱な艮櫓の新築を強行し、貴重な文化財を破壊することも判明しています。国指定史跡をめざすと言いながら、国指定史跡の障害になるのではないかと思わざるを得ない内容で進められているのです。
そこで文化庁におかれては、仙台城跡の文化財的価値を損なうような市の整備事業の見直しや、あるべき史跡整備の姿について、強く仙台市当局を指導してくださるよう、お願い申し上げる次第です。また、整備事業のあり方に関するいくつかの問題点について、文化庁のご見解を承りたく存じます。
仙台市当局が推進しようとしている艮櫓新築事業とは、本丸跡の三期石垣の角地に、艮櫓と称する隅櫓を新築する計画のことです。ところが、艮櫓が歴史的に実在したのは二期石垣の角地であったことが、発掘成果と絵図・史料等の突き合わせから明らかになっています。したがって市当局は、歴史的に隅櫓が存在した事実のない三期石垣の上に、新たに平成の隅櫓を新築し、それを艮櫓と称する計画を立てていることになります。
新築計画の艮櫓が史実に反する点は、それだけではありません。仙台市が設置した艮櫓復元専門委員会に対して、私たちは二〇〇一年六月二九日に質問書(別添の参考資料1「艮櫓新築計画に関する質問と要望」)を提出しました。同文書で指摘しておりますように、市当局が計画している艮櫓なるものは、実在した艮櫓とは規模・形状が大きく異なっています。実在した艮櫓は、本丸東南にあった巽櫓とほぼ同規模だと推定されますが、市の設計図ではこれよりも相当大きく設計されています。
このように、現在、仙台市当局が推進中の艮櫓新築計画は、建設位置・規模・形状ともに史実に反した内容になっており、仙台城本丸跡の歴史的空間を意図的に変造し、その文化財的価値を大きく損なう行為にほかなりません。
本中眞主任文化財調査官は、『月刊文化財』四三四号(一九九九年一一月)に掲載された、「史跡等の保存・整備・活用事業の考え方と今後の課題」という論文で、「史跡としての真実の価値を損ね、保存を危うくするような整備は、絶対にしてはならない。史跡を整備し活用しようとする側に、その史跡を『まもる』ということに対する執拗なまでの『こだわり』が必要なのだ」と強調しておられます。
私たちは、この指摘にまったく同感ですし、全国の史跡整備はこのような観点から行われなければならないと考えます。
また同じく『月刊文化財』四三四号に掲載された、中川治雄氏(松本城管理事務所研究専門員)の「起こし絵から実像に迫った松本城太鼓門枡形の復元」という論文では、文化庁から示された建造物復元の三条件として、次の三点をあげています。
@発掘により遺構が確認できること(礎石位置がわかる)
A指図(設計図)があること(規模がわかる)
B写真が残されていること(形態・構造・規模などがわかる)
これは文化庁が示した復元三条件として知られていますが、翻って仙台市が計画している艮櫓なる建造物にこの三条件を適用しますと、いずれにも該当致しません。国指定史跡をめざす遺跡に、この三条件から大きくはずれた建造物が復元と銘打って新築されることになります。文化庁の示した指針を無視しておきながら、将来的に国指定史跡として認可されるということがありえるのでしょうか。重大な問題だと考えます。
ご承知のように一期石垣は、本丸石垣の修復事業による発掘調査のなかで、市の文化財課によって発見されたものです。発掘調査では、一期石垣のほかに二期石垣や戦国時代の城郭遺構も発見されましたので、私たち市民は日頃目にしてきた石垣(三期石垣)の内側から、かくも貴重な城郭遺構が次々と発見されたことに驚くと同時に、大きな感動を抱くことになりました。これらの城郭遺構は、当然のことながら全国的にも注目されています。
しかし、新築予定の艮櫓なる建造物を支える基礎部のパイルが、伊達政宗が築造した一期石垣遺構を破壊することが判明しています。一期石垣の背面遺構である「玉石層」や「小段」を艮櫓なる新規建造物の基礎パイルが破壊することは市当局も認めています。しかし、市当局は「一期石垣の本質的な価値を損なうことなく、艮櫓の建設を進めることが可能である」との見解を表明しています(別添の参考資料2、二〇〇〇年一一月一四日「仙台城艮櫓復元事業の進め方について」)。つまり市当局は、一期石垣の表面石材の部分だけを「本質的な価値」とみなし、背面の「玉石層」や「小段」は石垣の「本質的な価値」をもたないと断じることによって、一期石垣の背面遺構の破壊を正当化しようとしているのです。
石垣遺構とは単に石垣の表面石材の部分だけではなく、「玉石層」や「小段」等の背面遺構を含むものです。一期石垣の文化財的価値は、表面石材とこれら背面遺構を合わせた全体構造にこそ、その貴重さがあります。したがって、市当局がいくら「一期石垣の本質的な価値を損なうことなく」と強弁しても、市当局は一期石垣遺構を破壊するという歴史的暴挙をおこなうことになります。
仙台市が進める青葉山公園整備事業には、追廻地区と本丸跡をつなぐために、四〇人乗りの巨大なエレベーターを設置する計画もあります。観光客の本丸へのアクセスを容易にするためのようですが、その予定地は、本丸東南の巽櫓の遺構付近になっているようです(別添の参考資料3、仙台市青葉山公園整備室発行「都市計画事業 青葉山公園の事業概要」)。
エレベーターは本丸東側の崖地に近い部分に建設されますので、安全上の見地からみて大きな問題があるのではないでしょうか。佐賀県唐津城では天守閣へのエレベーター建設で崖地の崩落が発生したと聞き及んでいます。仙台城のエレベーターも、そのような危険性を発生させることになりかねません。
また、エレベーターの昇降棟が巽櫓の遺構のすぐそばに建設されることによって、本丸全体の城郭遺構の空間的価値を落とすことになりますし、巽櫓周辺の遺構を損なう可能性もあります。
文化庁が仙台城跡の調査事業に国庫助成を実施することは、国指定史跡に向けた条件整備に仙台市当局が真摯に取り組むことを促すものと理解しております。しかし仙台市は、その調査すらも十分におこなわないまま艮櫓の新築を強行しようとしています。仙台市は二〇〇〇年七月と一〇月に、東北大学の佐藤源之教授に本丸北東部分の地中レーダー探査を依頼しました。その結果、佐藤教授は「盛土に使われている土質とは異なる物質が存在している可能性が高いと考えられる」(一〇月報告書)と指摘しています。この意味について佐藤教授に問い合わせたところ、現在発掘された一期石垣以外にも一期石垣の遺構が存在する可能性があるとのことでした。もちろん、「レーダー特有の虚像を考慮する必要がある」(七月報告書)とも指摘されていますが、調査の精度をあげて再測定すれば、「地下構造をより精密に知ることの有用性が極めて高い」(一〇月報告書)と、再測定することを市当局に提言しています。
そこで私たちは市当局に、さらに精度の高いレーダー探査を実施して一期石垣遺構の存否の確認をするよう求めましたが、昨年七月一一日付けの市当局からの回答は次のようなものでした。
「艮櫓基礎部を施行するに先立ち、その影響範囲の発掘調査を行うことから、今のところ地中レーダー計測は予定しておりません。」
(別添の参考資料4,二〇〇一年七月一一日「仙台城の石垣保存と艮櫓建築に関する質問と要望について(回答)」)
艮櫓の基礎部、すなわち六本の巨大なパイルを打ち込む部分だけが調査対象なので、その周辺部分は調査しない、という誠に驚くべき回答でした。
仙台城跡の学術調査を真に価値あるものとするためには、本丸跡の遺構全体の確認が不可欠だと考えます。一期石垣遺構のさらなる発見が予測されるにもかかわらず、これを調査対象から除外するということになれば、本丸跡の学術調査それ自体が極めて不十分なものとなるのではないでしょうか。
昨年九月三〇日に仙台市内で開催された「城と石垣全国シンポジウム」において、文部科学省文化審議会の峰岸純夫委員(中央大学教授)が、「城郭保存・整備の現状と問題点」という基調講演をされました。そのなかで峰岸委員は、艮櫓新築で「悔い(杭)を千代(仙台)に残すな」という名言を発し、一期石垣遺構を破壊することは好ましくないと仙台市当局に強く注意を喚起しました。国指定史跡の認可権をもつ文化審議会委員のこうした発言は、きわめて重い意味をもつものと私たちは受けとめております。
また峰岸委員は、金沢城について、現在は国指定ではないが国指定を受けることを前提とした復元をめざしており、その復元計画が文部科学省の文化審議会に参考としてかけられたことを紹介しました(別添の参考資料5、「城砥石垣全国シンポジウム参加記」地方史研究二九四号掲載)。これも国指定史跡をめざすとしている仙台市当局が、大いに参考にすべき発言であると理解しています。
仮に仙台市当局が一期石垣の背面遺構の破壊を避けるために、艮櫓の新築計画をパイルなしの便益施設に変更したとしても、艮櫓と称する新規建造物が三期石垣の角地に出現することに変わりはありません。どのような形であれ、歴史的根拠のない建造物を、あたかも歴史的建造物であるかのごとく装って新築することは、文化財行政として許されるものではありません。
艮櫓が歴史的に実在したのは、一七世紀前期のきわめて短い期間にすぎません。慶長一一年(一六〇六)の記録に、本丸に「楼」があったとの記事がありますが、これが艮櫓であったかどうかは定かではありません。この「楼」は元和二年(一六一六)の地震で壊れますが、その後に築造された二期石垣の上に艮櫓が建設されたことは絵図で確認できます。その二期石垣も正保三年(一六四六)の地震で崩れ、艮櫓も倒壊しましたが、その後、艮櫓が再建されることはありませんでした。したがって艮櫓の実在が確認できるのは、二期石垣の上だけで、正保三年の地震で崩壊するまでの、わずか三〇年弱にすぎません。
仙台市は艮櫓が実在しなかった三期石垣の上に、艮櫓なる建物を新築しようとしているのですが、歴史を大きく歪めるこうした計画は文化財行政のあり方として大きな問題だと考えます。しかし、問題はそれだけではありません。
史跡整備事業では城郭施設の復元がしばしばなされておりますが、その原則は復元の基準年代を一定にすることだと聞いております。仙台城跡の整備計画は、建設場所や規模が史実とは異なるとはいえ、艮櫓の新築をメインとしています。したがって艮櫓の実在が確認できる正保三年(一六四六)以前の三〇年弱の期間が、仙台城跡整備事業の基準年代ということになります。
仙台市当局と密接なタイアップのもとに仙台城復元計画を検討した仙台商工会議所の『仙台城復元基本計画』(一九九八年)では、艮櫓だけではなく、懸造り、大手門が具体的に復元の対象とされています。このほか、「超長期的」な復元対象候補として、本丸部分の東脇櫓、能舞台、大広間、御成門、詰ノ門、西脇櫓など、また二の丸部分の詰ノ門、小広間、書院、御座ノ間、三の丸部分の巽門、子ノ門などがあげられています。
艮櫓を真っ先に復元の対象とした以上、整備計画の基準年代は、前述のように、二期石垣を築造した元和三年(一六一七)以降から正保三年(一六四六)以前に置かざるをえません。艮櫓が実在したのは、この期間だけだからです。しかし、二の丸の築造が開始されたのは寛永一五年(一六三八)以降のことです。艮櫓が存在した時期に、本丸はもちろん、二の丸や三の丸において、どの建物が、どのような規模で建設されていたのかは、ほとんど解明されておりません。もしこれらの候補が復元されたとすれば、仙台城は江戸時代初期から明治初期までの建築物が無造作に乱立するという、異様な歴史的空間になってしまいます。
つまり、仙台城跡の整備計画は、整備の基準年代すら明確ではないのです。国庫補助による学術調査がようやく始まったばかりですが、仙台城跡の全容が解明されない段階で、艮櫓の新築だけを先走りさせることは、仙台市による仙台城跡の整備事業がいかにずさんなままに進められているかを示すものにほかなりません。
仙台市当局は常々、仙台城跡の国指定史跡をめざすと公言していますが、国指定史跡をめざす史跡において、基準年代も定めずに、しかも史実とは異なった建物まで新築することが許されるのでしょうか。
前述のように仙台市当局は、艮櫓の新築によって一期石垣遺構を破壊しようとしていますし、一期石垣の全容の把握にも極めて消極的です。また学術調査が始まった矢先に艮櫓の新築を強行しようとしていますので、市当局には今回の学術調査の成果を史跡整備事業に活かす姿勢が見受けられません。当面の問題として、艮櫓の新築だけしか考えていないからだと思われます。
仙台城跡の整備計画は、史跡の全体調査をふまえることが必要です。また、史跡の保護をはかりながら、崖地の保全や、環境問題をも考慮に入れて策定する必要があります。その上で、後世に恥ずかしくない観光事業のあり方を模索すべきものだと考えます。貴重な文化財を破壊しながら観光事業だけを優先させる現在の整備事業は、見直されなければなりません。
国指定史跡を前提とした学術調査は、総合的な観点からなされる必要があります。また、国指定史跡となるべき遺跡の整備に関して、文化庁の指導を受けるのも当然のことです。したがって文化庁におかれては、あるべき学術調査、あるべき史跡整備の観点から、積極的に仙台市を指導されることを期待するものです。それが仙台市の文化財行政を、よりよい方向にもっていく、もっとも効果的な方法だと思われます。
以上、私たちは、現在仙台市が進めている青葉山公園整備事業について、文化財保存の見地から重大な懸念を抱いております。それだけに、日本の文化財行政の総元締めである文化庁のご見識とご指導に期待するところ、きわめて大きなものがあります。
つきましては、以上述べましたことを以下にまとめて文化庁への要望とさせていただきます。また、これらの要望に関して文化庁としてのご見解も承りたく存じますので、たいへんお手数をおかけしますが、各項目ごとの具体的な回答を、一月三一日までにいただければありがたく存じます。お忙しいところ、誠に恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。
以上
二〇〇二年一月一二日
仙台城の石垣を守る会
代表世話人 平川 新(東北大学教授)
世話人 大藤 修(東北大学教授)
同 菊池勇夫(宮城学院女子大学教授)
同 菊池慶子(聖和学園短期大学助教授)
同 鯨井千佐登(宮城工業高等専門学校教授)
同 今野 眞(仙台電波工業高等専門学校教授)
同 斎藤善之(東北学院大学助教授)
同 J・F・モリス(宮城学院女子大学教授)
同 高橋美貴(東北大学助教授)
同 千葉正樹(東北大学助手)
同 柳原敏昭(東北大学助教授)
文化庁文化財部記念物課調査掛殿