このたび、新たに発足した貴委員会は、昨年八月に解散された仙台城跡石垣修復等調査検討委員会の下部組織として設置された艮櫓部会での検討事項を継承し、艮櫓の建築に関わる問題を検討する委員会だと承っております。
私たちは、以下に述べますように、旧艮櫓部会で検討されてきた艮櫓の規模・形状等に大きな疑問をもっております。また、つとに指摘されてきたように、艮櫓の建築が一期石垣の背面構造を破壊し石垣の文化財としての価値を損ねることだけではなく、艮櫓建築がもたらす三期石垣への影響についても、安全性の見地から重大な危惧を抱いております。
つきましては、仙台市民として、また歴史研究に従事する者として、貴委員会に対して質問書を提出させて頂きますので、委員会の席上にてご検討のうえ、可能な限り早く文書にてご回答下さるよう、お願い申し上げます。
一.新築される艮櫓は「復元」ではありません
仙台市は、仙台城艮櫓の建築事業を「仙台城艮櫓復元整備事業」と名付けています。また、市長をはじめとする市側担当者も、艮櫓の建築は「復元」であるという一貫した姿勢を示し、市の広報においても「復元」をうたいつづけています。貴委員会の名称も、「仙台城艮櫓復元専門委員会」とされています。
一方、文化庁では、歴史的建造物の「復元」に関して次の三つの条件を提示しています。(松本城管理事務所研究専門員/中川治雄論文、文化庁監修『月刊文化財』四三四号所収、平成一一年一一月)
◎文化庁から示された建造物復元の三条件
@発掘により遺構が確認できること(礎石の位置がわかる)。
A歴史的資料として指図(設計図)があること(規模がわかる)。
B古い写真が残されていること(かつての形態・構造・規模などがわかる)。
この文化庁の「復元三条件」に照らしてみると、市が建築を計画している三期石垣の上には艮櫓の遺構はまったく存在しませんので、@にある遺構の確認はできません。またAの指図もなく、Bの写真も存在していません。
このように、市が計画している艮櫓なる建築物は、文化庁の指針である「復元三条件」のいずれにも該当しません。いくら櫓の形をまねていても「歴史的建造物」ということにはならず、単なる現代の建築物にすぎないのです。
この点は、前検討委員会の委員長ご自身が、史料がないので政宗時代の建物を復元することはできない、あるいは、形自体がわからない、という発言をされていることからも明らかです(第八回議事録)。また観光交流課長も、復元という命題に耐えるだけの図面が少ない、建物自体完全な復元ではない、と発言しています(第六回議事録)。
つまり現在計画されている艮櫓は、前委員長や観光交流課長も認めているように、政宗時代に存在した櫓の「復元」ではなく、資料的な根拠のない単なる新規建築物にすぎないのです。
にもかかわらず市当局は、「仙台城艮櫓復元事業」と称して復元図や復元模型を作り、市民にPRしています。また、貴委員会にも「艮櫓復元専門家委員会」という名称を付して事業の推進をはかろうとしています。これでは市民に、政宗時代の艮櫓が「復元」されるかのような誤解を与えるだけです。
私たちは市当局に対して、「復元」という言葉を使わないように要求していますが、貴委員会におかれても、市民をあざむくような「復元」という言葉を使用なさらないように強く求めます。
また、歴史的建造物にもあたらない現代の構築物を、文化財としての価値の高い仙台城跡に新築することは、とうてい容認できるものではありません。貴委員会におかれては、仙台城跡の文化財としての価値をどう守っていくかという観点から、賢明な判断をなされるよう、お願い申し上げます。
二.艮櫓の新築は文化庁の見解に反します
文化庁の主任文化財調査官は、史跡の保存・整備・活用事業に関して、次のような指摘をされています(本中眞論文、『月刊文化財』四三四号所収、平成一一年一一月)。
◎何のために整備するのか
そもそも何のために整備するのか。〜目的はいっぱいあるだろう。しかし、そ の前にやっぱり、史跡等の保存のために整備するのである。史跡等を確実にまもり、次世代へと伝えるために「整備」はあるのだ。だから、保存を危うくするよ
うな整備は、決してしてはならない。
よくある話のひとつに、近世城郭の天守閣の復元がある。とてもきれいに残っ ている天守台の石垣。その上に天守閣を復元して、わが町のシンボルや観光のス ポットにしようというのである。しかし、復元天守閣は、かなり規模の大きな建
造物だから、杭を何本も打ち込んで重量を支えなければ安定した構法が確保でき ない。〜石垣とは名ばかりにコンクリートで塗り固められた石垣と、石垣とはま ったく構造的に関係なく新築された天守閣。こうなってしまっては、この城の本
来の価値は一体何だったのかと疑わざるを得ない。繰り返し言うが、史跡として の真実の価値を損ね、保存を危うくするような整備は、絶対にしてはならない。 史跡を整備し活用しようとする側に、その史跡を「まもる」ということに対する
執拗なまでの「こだわり」が必要なのだ。
◎「こだわり」が大切
「まもる」ことへの「こだわり」は、その史跡がわが町にとってかけがえの ない資産だと認識することから出発している。「たったひとつしかないもの」へ の「こだわり」である。たったひとつしかないからこそ、確実にまもり、次の世
代へ伝えることの強い気概が湧いてくる。 (中略)
今後、地方分権が進めば進むほど、史跡等の整備・活用事業にも地元の創意 に根ざした独創的なアイデアや手法が要求されることになろう。すでに述べたが 、その際には、積極的に進めるべきことと、絶対にしてはならないことを明確に
切り分けることが大切である。
(傍線は「守る会」による。以下同)
ここには極めて明快に、史跡整備の原則が述べられています。右の文章のすべてが文化庁の見解を示す貴重な指摘ですが、「史跡としての真実の価値を損ね、保存を危うくするような整備は、絶対にしてはならない」という言葉は、史跡整備に当たる方々が特に肝に命じておかなければいけないものでしょう。
右の文章では天守閣の新築の事例があげられていますが、これを艮櫓に置き換えれば、次のように現在仙台市が進めている計画にそのまま当てはまります。
艮櫓(復元天守閣)は、かなり規模の大きな建造物だから、杭を何本も打ち 込んで重量を支えなければ安定した構法が確保できない。〜石垣とはまったく構 造的に関係なく新築された艮櫓(天守閣)。こうなってしまっては、この城の本
来の価値は一体何だったのかと疑わざるを得ない。繰り返し言うが、史跡として の真実の価値を損ね、保存を危うくするような整備は、絶対にしてはならない。
のちに述べるように、艮櫓は歴史的根拠が極めて薄弱な現代の新築物にすぎません。それだけではなく、その新築物が、「かけがえのない資産」であり「たったひとつしかないもの」としての政宗時代の一期石垣遺構を破壊することも判明しています。これは文化庁の史跡整備の指針から二重に逸脱したものであることが明らかです。そのようなものを史跡に建てたり、ましてや貴重な歴史的文化財の保存を危うくするような整備は、「絶対にしてはならない」と、主任文化財調査官は警告を発しているのです。
このような指摘を無視して艮櫓の新築を強行すれば、仙台市は文化財行政の最後進地としての烙印を押されることになってしまいます。あってはならないことです。仙台市長は国指定史跡をめざすと公約してきましたが、文化財保護の原則に対して二重の誤りを犯した史跡を、文化庁が国指定史跡として認めることなどありえません。
貴委員会には、文化財を保護し国指定史跡を実現するためにも、艮櫓の新築に「こだわる」のではなく、仙台城本丸跡の史跡としての価値、一期石垣の文化財としての「かけがえのない資産」に「こだわる」こと、「その史跡を『まもる』ということに対する執拗なまでの『こだわり』」が求められているのです。
貴委員会では、文化庁の担当官が示した右の見解をどのように受けとめておられるのでしょうか。このような見解が示されているにもかかわらず、艮櫓の新築を推進なさるおつもりでしょうか。貴委員会の賢明なるご見解をお示しください。
三.艮櫓の規模は史実より巨大化しています
三期石垣の上に艮櫓がなかったということは、前委員会の委員長も認めています(検討委員会第八回議事録)。仙台市当局も、「史実に忠実に」復元するという方針を繰り返し表明してきました。にもかかわらず、艮櫓のなかった三期石垣の上に復元するというのは、市当局自身が「史実」に反した行為を行うことであり、市民をあざむくことにほかなりません。
しかし、「史実」に反しているという点については、単に櫓の位置だけではなく、艮櫓の規模や形状についても同様のことが指摘できます。以下、大きさ、形状、依拠する史料、の三点について、その問題点を指摘しておきます。
まず、艮櫓の大きさについてですが、仙台市が計画している艮櫓は、その規模を算出するにあたって、おおむね次のような考え方をとっています。(第一回前検討委員会及び第二回艮櫓部会配付資料等から)。
1.根拠資料は、一六四六年(正保三年)の「奥州仙台城絵図」(正保の城絵図)と、「肯 山公造制城郭木写之略図」(制作年不明)とする。
2.両図から、艮櫓は、東脇櫓とほぼ同規模とみなす。
3.東脇櫓の規模は、三期石垣の実測値から、六・五×六・五間(一間=六・五尺)とする。
4.東脇櫓や他の城郭の状況等をあわせて考証した結果、艮櫓本体の規模は、六・五×六・〇間とする。
その結果、計画中の艮櫓本体部分(西脇長屋を除く)の平面は一二・八m×一一・八mという規模に達しました(平面積約一五一u)。また、その規模に対応させて、高さを約一五・五mとしました(図1)。この艮櫓の規模は、弘前城天守閣や宇和島城天守閣を凌駕する規模です(図2)。
このような極めて規模の大きい櫓が四基も並んでいたという想定自体、納得できないものですが、さらにこの規模を想定する根拠には以下、五点の大きな疑問があります。
(1) 艮櫓の規模を算出するにあたっては、「奥州仙台城絵図」と、「肯山公造制城郭木写之略図」のほかに、三期石垣の実測値を基準としています。しかし、艮櫓が存在したのは二期石垣の上ですから、それよりも外側に築かれた三期石垣の実測値は、「史実に忠実」な艮櫓の規模を確定する根拠とはなりえません。
なお、平成一一年二月一日の第一回艮櫓部会の時点では、石垣の発掘調査はまだ進行中であり、この会議の席上では、艮櫓が実在していた二期石垣に関する調査結果は報告されていません。平成一二年二月一〇日の第三回部会へは二期石垣の状況が報告された模様ですが、議論は櫓の位置問題に終始しています。その結果、本来、参考にされるべき二期石垣に関するデータが、まったく計画に反映されていないという重大な欠陥が生じています。
(2) 東脇櫓について、六・五×六・五間という規模を算出していますが、算出の根拠とした同脇櫓の櫓場は、一六六八年(寛文八)の大地震後に再建された三期石垣上のものでです。そのため、二期石垣上にあった東脇櫓の規模・形状とは異なり、やや大きめに櫓場が設定された可能性が高いと考えられます。そうであれば、三期石垣上の東脇櫓場の規模を参考に、二期石垣の上にあった艮櫓の規模を算出することは不適切です。
(3) 三期石垣上には、艮櫓の櫓場の規模を示すと考えられる天端石が現存しています(図3)。その示す範囲は南北ライン(艮櫓本体部分)で約九m、東西ライン(艮櫓本体部分と西脇長屋部分)で約二一mですが、市の設計図では、艮櫓の南北ラインが一一・八m、東西ラインが一九mとなっています。南北の面は約三mも長く、東西の面は2mも短いのです。
特に櫓本体部だけを比べてみると、天端石から推定される面積(仮に九m四方として約八一u)と比べて、市の設計図では約二倍弱(約一五一u)の規模となっています。つまり、現存する天端石のあり方と、設計図が描く艮櫓の規模には、まったく整合性がありません。
(4) 二期石垣上に実在していた巽櫓の遺跡が、現在も比較的良好な状況で残されています(図4)。この遺跡には、巽櫓の礎石と考えられる石や、櫓の跡と考えられる小高くなった部分があり、その実測長は九・八m程度となっています。
仙台城本丸の隅櫓に関する唯一の手掛かりである「奥州仙台城絵図」によると、巽櫓と艮櫓は、ほぼ同じ大きさになっています。したがって、実在した艮櫓の平面も、巽櫓と同様に一辺が最大でも九〜一〇m程度になるはずです。しかし、設計図では一二・八m×一一・八mとなっていますので、巽櫓よりもかなり大きくなっています。今回の艮櫓の設計にあたっては、この巽櫓の規模との比較がまったく行われていません。
艮櫓の規模を決定するためには、少なくとも巽櫓跡の発掘調査を行うことが必要であり、その検討を経ない限り、とうてい納得しうる計画とはなりません。
(5) 肯山公図によると、艮櫓の東の側面は、三期石垣の北東角から入り隅までの範囲(約九m)に収まっています(図5)。一方、計画されている艮櫓の東面は、入り隅を大きく越えて(一一・八m)、三m近くも長くなっています。つまり、今回の設計において最も重要な拠り所であるとされた肯山公図からみても、計画されている艮櫓の規模は過大であり、典拠との整合性に欠けています。
以上のように、現在計画されている艮櫓の規模は、かつて実在した艮櫓の規模と比較すると極めて過大であり、三期石垣の上に現存した天端石との整合性も欠いています。さらに、肯山公図に描かれた艮櫓の規模とも異なっています。規模の算出方法に一貫性がなく、いずれの観点からみても、「史実」から遠くかけ離れたものといわざるを得ません。
ついては、これらの問題点に関する貴委員会の賢明なるご見解をお示しください。
四.艮櫓の形状も根拠がありません
実在した艮櫓のかたちを知る唯一の手掛かりは、「奥州仙台城絵図」(「正保の城絵図」)であり、今回の計画においても、この絵図に基準をおいて、形状や意匠の検討が進められてきました。「正保の城絵図」は幕府の命令によって描かれたものですので、幕府によって定められた形式が守られ、いつ幕府のチェックを受けてもよいように、細心の注意がほどこされていました。そのため、軍事上重要な石垣の形状、櫓の位置や規模・形態などは、当時、最高の作図技術を用いて、可能な限り、実際に近いかたちで描かれたものと評価されています。
この「正保の城絵図」には、本丸石垣の東北角に、石垣の形状に沿って建てられた、三重の屋根を持った艮櫓が描かれています。その石垣の形を注意してみると、東北角は直角ではなく、二つの角(二折れ)をもった形で描かれていることが注目されます(図6)。この絵図に描かれた石垣の形が正しいとすると、艮櫓は直角で構成された平面形ではなく、台形や五角形、または菱形の、きわめて特徴のある姿をしていたことになります(図7)。あるいは、これ以外の形も想定すべきかもしれません。
ところが、市の設計図で描かれた艮櫓の形は、北東角を初めとして、四隅ともに直角とされています(図1および図7)。つまり、「正保の城絵図」が描く姿かたちとは、まったく異なった形状になっているのです。
この点について市担当者から聴取した結果、「正保の城絵図」では艮櫓の北面と東面の二面の姿を見せるために、東北角を意図的に鈍角に二回折れた形状としたのではないか、伝統的な建築物は直角で構成されなくてはならない、という推測が行われていることが判明しました。また前委員会において五味盛重委員も、実際は直角の石垣だが、建物の二面を見せるためにわざと鈍角(二折れ)に描いたにすぎない、という趣旨の発言をされています(第九回委員会議事録)。
しかし、こうした考え方には重大な問題があります。
正保の地震後、修復した二期石垣の状況を描いた一六六四(寛文四)年の「仙台城下絵図」(「寛文の城絵図」)では、艮櫓の崩壊後の石垣東北角を、ほぼ「正保の城絵図」と同様に、鈍角に二つに折れた形状で描いています(図8)。
「寛文の城絵図」段階では艮櫓は存在しておらず、艮櫓の形状を見せる必要はまったく無くなっていました。しかし、石垣だけを描いたこの絵図でも、東北角の石垣は、「正保の城絵図」と同様に、直角ではなく、二つに折れた形で描かれているのです。したがって二期石垣の形状は、「寛文の城絵図」とほぼ等しいものであったことが確実です。
この点は、西脇櫓でも同様のことが確認できます。「正保の城絵図」で西脇櫓の石垣は二折れで描かれていますが、「寛文の城絵図」でも明確に二折れになっており、櫓場は五角形をしています(図8)。上に櫓もなく、あえて五角形に描く必要はありません。とうぜん、現実の形を描いたと理解すべきものです。
一方で、文化財課による発掘成果の検討によれば、北東角は直角ではなく、鈍角(二折れ)の可能性もあると指摘されています。同課は慎重に断定を避けていますが、このことは二つの絵図に描かれた二折れの石垣の形状と発掘成果とが一致する高い可能性を示しています。
角が直角ではない建物は、一見奇異に感じますが、日本の城郭では幾つかが確認されています。そのひとつが金沢城の菱櫓であり、「菱形の櫓」という名前の通り、平面形は菱形で、どの角も直角ではありません(図9)。金沢市は一八〇九(文化六)年の菱櫓再建記録や明治初期の古写真、発掘調査資料をもとに、一九九九(平成一一)年から伝統工法による菱櫓の再建を行っております。
このように、現在進められている艮櫓の計画は、絵図史料の精密な検討を行なわないまま形状を決定していると言わざるを得ません。現在のところ、艮櫓の平面形を直角から成る長方形とする根拠はありません。逆に、直角ではないことを証明する根拠は存在しています。これらの事実を無視して、艮櫓を直角の形状として設計することは許されません。
こうした状況にある以上、現段階においては、艮櫓の形状についての判断は留保するというのが賢明な選択だと考えます。
ついては、これらの点について、貴委員会の賢明なるご見解をお示しください。
五.「肯山公図」を恣意的に利用しています
規模に関する問題で触れたように、指図のまったく存在していない艮櫓を設計するにあたっては、「肯山公図」が繰り返し参照されています。また、仙台市や仙台商工会議所では、この図を四代藩主伊達綱村が仙台城再建を目指して計画した図であると評価し、今回の計画は綱村に替わってその遺志を実現するものであるという位置づけを行ってきました。
しかし、「肯山公図」という題名が書き込まれている箇所は、後世の補修で用いられた洋紙の上です。この図に題名が付されたのは、戦前、伊達家において所蔵史料の補修が行われた際であった可能性が高く、綱村代に描かれたとする決定的な根拠がありません。この絵図は、まず史料学的評価を徹底的に行ったうえで参考にすべきものであります。
特に艮櫓を考えた場合、この図には二重の櫓として描かれています(図10)。ちなみに、本丸のその他の櫓もすべて二重に描かれています。市の計画では「肯山公図」を 下敷きにしていますが、なぜ艮櫓は「肯山公図」通りに二重で設計されず、三重となっているのでしょうか。この点にも「肯山公図」を利用するにあたっての恣意性が顕著に見られます。ついては、この点に関する貴委員会の賢明なるご見解をお示しください。
六.艮櫓の建築は、一期石垣を破壊し三期石垣の安全性をおびやかします
仙台市の計画によれば、艮櫓の基礎を補強するために直径二mの巨大な六本のパイル(杭)を土中に築くとされています。しかし、このパイル工事によって、「小段」や「玉石層」など、一期石垣の背面遺構が破壊されることも判明しています。全国から注目を集めている政宗時代の貴重な石垣遺構を、歴史的根拠薄弱な艮櫓建設によって破壊するという愚挙をおこなってはなりません。
また、市の計画では修復した三期石垣の角地に艮櫓を新築することになっていますが、この部分は大半が地盤の弱い盛り土と裏込め層からなっています。石垣修復にあたっては弱い地盤をどう補強するかに苦心されていますが、こうした不安定な地盤の上に巨大な艮櫓を建設すれば、その不安定さはますます増幅されます。
さらに 、六本のパイルは頑丈な作りであったとしても、地震等によってパイルが四方に揺れると、土層がずれて三期石垣に大きな圧力を加えることが予測されます。また、パイルの揺れによってパイルと土層との間にすき間が生じ、ここに水がたまって土層を圧迫したり土層を弱体化させる危険性も大きいと考えられます。これらは三期石垣への土圧となって石垣のはらみや飛び出しにつながったり、地盤沈下によって石垣にズレやゆがみを生じさせる可能性があります。
こうした点について、とうぜん市当局や前艮櫓部会ではデータを解析し検討していると思いますので、改めて貴委員会においてこの解析データを公表し、市民の前で再検討されることを強く求めます。
このように、地盤の弱い三期石垣の上に艮櫓を建築することは、石垣に大きな影響を与える可能性が極めて高いと考えられます。にもかかわらず建築することは、市当局の標榜する安全性をみずから否定することになります。三期石垣の安全性の確保は、艮櫓の建築とは決して両立しえないのです。市当局のいう安全性をより強く確保するためには、艮櫓の建築は断念すべきです。そうでないと、市道の安全も市民の安全も保障することはできません。
ついては、これらの問題点に関する貴委員会の賢明なるご見解をお示しください。
七.艮櫓新築計画の白紙撤回を勧告し、
史実に基づいた歴史的建造物の復元をめざしましょう
以上、仙台市が艮櫓の新築事業を進めるための典拠としてきた諸資料や、新築がもたらす影響などについて再検討してきました。
その結果、現在公表されている艮櫓の建築設計図は、実在した艮櫓とは大きさや形状がまったく異なる可能性の高いことが判明しました。実在しなかった三期石垣の上に建てるのは第一の誤りですが、規模・形状も異なるとなれば、仙台市は艮櫓の建築で二重の誤りを犯すことになります。
平成九年三月に策定された『仙台城艮櫓復元整備基本計画』(仙台市経済局商工部観光課刊。第一回前検討委員会配布資料)には、「基本的な方針」として次のように明記されています。
史実に忠実な復元───既存の文書や見取図等による推定や時代考証、発掘調査の成果等をふまえながら、出来る限りもとあったであろう姿の復元をめざす。
現在の設計図は、残存する文書や見取図との突き合わせも不十分なまま作成されています。その結果、「もとあったであろう姿」からは大きく異なったものとなっています。もし、この設計図の通りに新築された場合、それは市が公表したこの「基本的な方針」にも明確に反することになります。
また、同『基本計画』の「復元」の「意義」の項目には、次のようにあります。
「今回復元が行われる艮櫓は、築城時に築かれた四基の三重櫓の一つとしてその歴史的価値は極めて高く、また木造による復元のあかつきには本格的な復元事例としても全国的にも数少ないものの一つで、その建築的価値は高いものとなる。」
しかし、私たちの検討が明らかにしたように、現在の艮櫓設計図は、歴史的根拠が極めて薄弱です。このような建築物が新築されたとしても、右の「意義」が謳うような「歴史的価値は極めて高く」などということはあり得ません。また、「本格的な復元事例」ともなりえません。そのことは、全国の歴史学・文化財・考古学の諸学会が、等しく艮櫓新築計画の白紙撤回を求めていることからも明らかです。艮櫓の新築を強行すれば、むしろ全国の物笑いの対象にすら成りかねません。
私たちは、由緒ある仙台城跡にニセモノの櫓が建ち、城跡がもつ文化財としての貴重な価値を大きく損なうことを強く危惧しています。また、このニセモノの艮櫓の新築によって、伊達政宗が築造した貴重な一期石垣の遺構が、一部とはいえ破壊されることも容認しがたいことです。さらにこの巨大な建造物が、土層にズレやゆがみを生じさせ、修復された三期石垣にも大きな影響を与えることが予測されます。市当局の標榜する石垣の安全性は、まさしく艮櫓の新築によって根本的におびやかされるといえます。
以上のように、どのような見地からみても艮櫓の新築は重大な禍根を残すものであり、市民の安全を保障しないばかりか、後世の人々に文化財を継承する役目を放棄する行為となります。
ついては、貴委員会におかれては、ご見識をもって、このたびの艮櫓新築計画の白紙撤回を市当局に対して勧告されることを強く求めます。
なお、仙台城跡には、写真や指図等が残されているものとして、大手門、巽門、御懸造、本丸大広間、本丸御成門、本丸詰ノ門、中ノ門などがあります。大手門や巽門は、昭和二〇年に戦災で焼失するまで存在していましたので、歴史的建造物として「復元」可能な第一候補です。しかしその他も、これから実施される仙台城跡の学術調査の成果等と慎重に突き合わせれば、文化庁の示した基準に照らしても歴史的建造物として十分に「復元」可能な対象ではないでしょうか。貴委員会におかれては、これらを、艮櫓に代わりうる新たな「復元」候補として検討の対象とされることがあってもよろしいのではないでしょうか。
八.委員会は市民や歴史研究者との対話を実現してください
貴委員会と並行して設置された石垣修復工事専門委員会の第一回委員会が、去る六月二二日に開催されました。その席で新谷洋二委員長は、委員会として「市民の声を聞く機会ももたなければと思う」と発言されました。また、私たちの会が提出した要望書に関しても、「できるだけ答えていく」と述べておられます。
石垣修復専門委員会のこうした姿勢は、開かれた委員会のあり方として、たいへん好ましいものと受けとめています。それでこそ、市民の信頼を得ることができると思います。
ついては、貴委員会におかれても、石垣修復工事専門委員会と同様に、「市民の声」を聞き、意見を交換する機会をお作りくださるよう、強く求めるものです。また、貴委員会には欠けている歴史学(文献史学)研究者との対話の機会も、ぜひお作りくださることを求めます。市民の声を聞き、各分野の叡智を結集してこそ、健全なる文化財行政のあり方に貴委員会が貢献するものと考えます。
ついては、これらの要望に関する貴委員会のご見解をお示しください。
以上、現在進行中の艮櫓新築計画に対する私たちの疑問と見解・要望を述べてきました。これらの問題に対する判断を避けて、艮櫓の新築を強行することがあれば、市当局や貴委員会は、市民からの信頼を得ることができません。ついては、これらについて貴委員会のご見解を承りたく存じますので、できるだけ早く、各項目に即して具体的なご回答をお寄せ頂けますよう、お願い申し上げます。
以上
二〇〇一年六月二九日
仙台城の石垣を守る会
代表世話人 平川 新(東北大学教授)
世話人 大藤 修(東北大学教授)
同 菊池勇夫(宮城学院女子大学教授)
同 菊池慶子(聖和学園短期大学助教授)
同 鯨井千佐登(宮城工業高等専門学校教授)
同 今野 眞(仙台電波高等専門学校教授)
同 斎藤善之(東北学院大学助教授)
同 ジョン・F・モリス(宮城学院女子大学教授)
同 高橋美貴(東北大学助教授)
同 千葉正樹(東北大学助手)
同 柳原敏昭(東北大学助教授)
仙台城艮櫓復元専門委員会
委員長及び委員 各位