「第3回 仙台城艮櫓復元専門委員会」傍聴記

七海 雅人

 8月8日、16時から、最後の艮櫓委員会が開かれました(委員長と委員2名、合計3名が出席)。思えば、わずか3回だけの開催。その数が、委員会スタートより、このプロジェクトにはそもそも無理があったのではないか、ということを示唆させます。
 季節のせいか、ボーンとあがっていた打ち上げ花火が、急に終わってしまった後の、あのなんとも言えない寂寥感が漂う雰囲気。窓の外を見れば、最終日の仙台七夕の熱狂が、最高潮に達している時だというのに。ギャラリーもちらりほらりの中で、議事は淡々と進んだのでした。一人気炎をあげていた佐藤巧委員長が、つよく印象に残りました。


 不覚にもちょっぴり遅刻した私は、委員長の挨拶からの傍聴となりました。その要点を記せば、「5月に櫓建設の中止が決定された。私個人自身は納得でない気持ちだ。出土した古い石垣の上にも櫓を建てることが可能とうかがい、私たちは審議をしてきたのだ。今までに謂われのない誹謗も受けてきたが、市民のため、市長の公約を実現するために努力してきたのだ。これまでの私たちの議論が、無駄ではなかったようにしていただきたい・・・」、とのこと。
 やや被害妄想的なニュアンスが感じられつつも、くやしくて、くやしくて、とても怒っているのだぞ、ということが十分伝わってくる挨拶でした。そりゃあそうですよね。3期石垣の上に建てるという市長判断で勝利したはずの、そして誇りと自信をもって進めてきたはずの仕事が、歴史研究者の団体や市民運動の十字砲火にさらされて、打ち砕かれて、結局、霧消してしまったのですから。委員長の無念さが感じられただけに、こういう結末になるならば、やはり3委員会は連絡会をつくり、外からの意見も容れつつ協議を詰めていくべきではなかったか、と今さらながらに思ったのでした。

 委員長の挨拶の後、役所からの報告がはじまりました。まず、事業中止決定の経過についてです。以下に発言者の要点を記します。
 経済局長:「平成7年、石垣の上に櫓を復元することが決定された。平成12年11月、修復石垣北東角への建設が決定し、旧石垣の本質的な保存を前提としつつ、基礎の打ち込みに関する準備を進めてきた。ところが大分県における城郭部分(国史跡)指定の事例を見て、仙台城の部分指定の可否を文化庁に打診することにした。文化庁は櫓建設は認められないと返答してきたため、国史跡指定の実現を優先し、櫓建設の中止を決定した。みなさんのこれまでの議論は、無駄にすることなく、いかしていきたい」。
 教育局次長:「昨年、大分県の城郭の国史跡部分指定があり、仙台城も同様にいかないか内部で検討をおこなってきた。4月に市長が直接文化庁へ出かけ、協議をおこなった。5月に文化庁から返事をもらい、櫓建設中止を決定するにいたった」。
 委員長:「これからの仙台城の整備計画をどう進めるのか」。
 教育局次長:「発掘調査を進め、復元できるものを検討していく。市有地以外についても、地権者の理解を得て、指定区域を拡大していきたい」。
 文化財課長:「曲輪外郭や、中島池などの水系が復元対象になりうる。(1)遺構の発掘資料、(2)古写真、(3)設計図を含む文献史料の存在といった文化庁が示す復元3条件を満たすような城郭建造物なども、復元の対象候補だ」。
 委員長:「発掘といっても、部分指定の所しか掘れないだろう」。
 文化財課長:「市有地以外についても、発掘調査の実現を地権者にお願いしていきたい」。
 委員長:「復元するといっても、大広間ぐらいじゃないのか」。
 文化財課長:「大広間、御守殿、書院、巽門、清水門など、城郭に沿って文化庁3条件がそろえば、復元していきたい」。
 西野委員:「艮櫓の再現不可能にいたった理由を知りたい」。
 文化財課長:「史跡指定を前提とした場合、艮櫓は文化庁3条件を十分に満たしていない。たしかに杭については、石垣遺構の本質的価値を損なわないという配慮が決定されていた。しかし国史跡になることを前提とすれば、石垣・裏込・地山を含めた土木構造全体が史跡遺構とみなされるのであり、国として杭は認められないということだ。現在の仙台城跡として含まれるもの全てが、史跡としてとらえられることになる」。

 櫓の建設について、佐藤委員長・役所ともに「復元」という用語だけではなく、「建設」という用語もまた、当たり前のように使用している点は、再確認しておきたいと思います(「復元」ではなく「建設」であることは、すでに役所が認めています)。そして上記の応答により、櫓の「建設」が、史跡の保存整備とは絶対に相容れないものであることが、いよいよもって明白になったわけです。
 また今後の仙台城跡復元事業についても、発掘調査や学術的検討を十分おこなった上で、慎重に進めていくことが表明されました。これまた喜ばしいことです。

 この後、五味委員から、委員長の業績に対する敬意と、ご苦労へのねぎらいが吐露されました。あわせて、「艮櫓の場合、写真や設計図は無く、正保の絵図だけだった。杭についても奥に寄せて打つという譲歩はしたものの、それでは地震についての対策が危惧された。ただし、これまでの議論は立派な一つの研究成果なのだから、きちんと記録に残してもらいたい」、という述懐も。
 そして、営繕課長から櫓建設の進捗状況(5月の中止決定以前における設計手直しの経過)が報告され、役所からの報告と、それに対する質問が終わりました。

 つぎに議事について。「仙台城艮櫓復元事業の記録」を作成することが、話し合われました。
 まず、観光交流課長が記録の目次案を説明しました。大項目は、つぎの五つです。
 (1)仙台城石垣修復及び艮櫓復元事業決定に至るまでの経過(昭和58年〜平成7年)。
 (2)艮櫓復元事業スタート(平成8年〜11年)。
 (3)旧石垣の出土に伴う議論及び設計の見直し(平成11年〜12年)。
 (4)専門委員会の設置と実施設計(平成13年〜14年)。
 (5)仙台城跡の国史跡指定と艮櫓復元事業の中止について。

 各項目については、さらに小項目が掲げられ、関連する資料名なども提示されました。編年の記述方式は、まさに櫓建設の計画から頓挫終焉にいたる一大プロジェクトの「栄枯盛衰」・「歴史」を物語る記録といえるものです。なかでもとくに目を引いたのが、(3)の小項目として示された「市民や市議会における議論」というテーマでした。記録を残すのであれば、このプロジェクトをめぐり、それぞれの立場の人間が、何をどのように論じ、真剣な議論をたたかわせ結末にいたったのか、資料にもとづき冷静かつ公平に分析・記述されることが、当然果たされなければなりません。それが実現されることにより、はじめて、仙台市の行政一般だけでなく、全国の文化財行政、文化財の保存・活用に関する産学官連携事業のあり方においても、有益な参考資料・教訓として寄与することができるのだと思います。惰性的な後始末に終わることなく、きちっとした報告書が作成されることを期待したいです。委員会では、今年度中に完成させたい旨の報告がありました。担当者の方は、たいへんな作業でしょうが、どうぞがんばってください。

 この記録作成をめぐり、各委員からは、「櫓の建設・設計に関する根拠資料の提示・説明はきちんとおこなうこと」、「本事業が仙台開府400年事業とどう関わるものであったのか」、「本事業の展開のなかで、国史跡化の問題はどのよう記述するのか」、などの要望・質問が出され、記録の公開前に委員が目を通しアドバイスをすることが決められました。
 とくに委員長は、「1・2・3期の石垣の区別基準、石垣なのか城壁なのかという問題などについて、私はまだ個人的には納得していない。この点は、どのような理由でオーソライズ(公認されること)されたのか、説明する記述がほしい」、「教育委員会から受け取った発掘報告書類を見ると、統一された見解が出されているとは思えない。遺構に関する見解がどのように変遷していったのか、ちゃんと説明してもらいたい」、と意見を述べ、一矢報いるべく姿勢を最後まで崩すことはありませんでした。

 議事に関する審議を終え、最後に助役から、「まだまだ仙台城の復元は進めていかなければならない事業です。これからも御指導よろしくお願いします」、と委員に対する挨拶があり、幹部職員の起立礼で委員会は終了しました。
 でも、これで、終わった、終わった、よかった、よかった、というわけにはいかないはずです。いよいよ仙台城跡の国史跡化が現実のものとなり、調査・保存・活用は、あらためて始動するわけですから。そして願わくは、艮櫓の幽霊が、別の顔をかかげ、ふたたびゆらりと現れることの無いように。


 委員会が終わり皆が部屋から出て行く喧噪のなか。依然として席を立たず、文化財課長に強く持論を訴える佐藤委員長の姿を見送りつつ、私も傍聴席をあとにしました。



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TOSHIAKI Yanagihara tyana@sal.tohoku.ac.jp