仙台城本丸跡の3期石垣は、現在、7段目あたりまで修復工事が進んでいます。基礎部は、ほぼ終えたことになりますが、まだまだ修復工事の課題はたくさんあります。その点でも興味深い意見が種々出されましたが、委員会の最後に新谷委員長が、次回は裏ごめと艮櫓の関係について検討すると予告されました。当委員会の審議も、ヒタヒタと佳境に近づいているようです。
きょうの委員会では、最初に文化財課の金森主査から、「石垣修復に伴う発掘調査成果」について報告がありました。
この報告に対して鈴木委員から、階段状石列の機能がよく分かると高く評価する一方、いまの修復現場をみる限り、石列の「復元」にはほど遠く、「旧状再現」とでもいうべきだという批判が出されました。
文化財課が石列を土留めや排水の重要な役割を果たしたと評価したのに対し、公園課はその機能をあまり評価していませんでした。ですから修復にあたって公園課は、石列を形式的に並べるという程度のことしかやっていないわけです。これでは「復元」ではない、と鈴木委員は指摘されたのです。「復元」ではなく「旧状再現」というべきだという鈴木委員の発言には、悲しさがあふれていました。
階段状石列については、五味委員も、できるだけ復元してほしいと求めましたし、土木系の委員からも評価の声があがりました。柳沢委員は石列は盛り土をおさえていたではないかと評価しましたし、浅田委員はもっと積極的でした。金森報告でショッキングなのは第3期の石垣の裏に石列があって重要な役割を果たしていたということだ、この伝統工法の安定性をもっと取り入れたらどうか、石列の役目を考慮するという議論をしないといけない、いまは文化財の調査結果とまったく関係なく安定性の検討がされている、伝統工法にもいいところがあるのだから、よく考えてほしいと、指摘されたのです。
階段状石列の役割を評価し、その伝統工法をなぜもっと活用しないのかということです。北垣委員からは、旧状を越えた部分にまで拡大すると問題があるとの指摘がありましたが、伝統工法のよさを積極的に認める浅田委員の発言には、思わず胸がつまったほどでした。
ところで、公園課の報告では、昭和37年から40年にかけての八木山橋掛け替えに伴う道路舗装で現在の道路が出来上がり、交通量の増加に伴う振動で石垣の孕みが進行、バス・ダンプが多くなるとさらに孕みが進み、昭和48年ころから城壁の変形が顕著になって、宮城県沖地震で20〜30cmの変形があった、ということでした。
現在、本丸北側の道路の交通量は1日約14000台、年間の大型車通行量は5万台にのぼるとのことです。しかも、大型車1台当たり震度3の加速度に相当(石垣上部は下部の2.3倍に増幅)するとのことでした。
これは一刻も早く本丸北側の道路を通行止めにするしかない、ということではないのでしょうか。そうでないと、いくら頑丈に補強しても危ないということではないのでしょうか。八木山住民との関係はありますが、この点でも仙台市は対策を求められていることになります。
北垣委員から、たいへん興味深い報告がありました。北垣委員の論文「伝統技術からみた城郭石垣の勾配について」(『関西大学考古学研究室解説三拾周年記念考古学論集』2002年4月刊行予定)を紹介しながら、江戸時代の石垣技術書に「矩返し」(ノリガエシ)に関する記事があり、この技法が石垣の安全性の確保に最も効果的だったことや、仙台城の石垣もこの技法が採用されている可能性が高いとの指摘がありました。
「矩返し」とは、高い石垣が勾配をつけて反り返っている技法のことですが、単に美的効果だけではなく、勾配の付け方と安全性の確保に関係ありということです。そのあたりの説明はむずかしいので、この論文をぜひ御覧頂きたいと思いますが、土木工学の柳沢委員も、「矩返しはもっともな話」だと、伝統工法が工学的にも説得力をもつことを認めました。
これまで、石垣の安全性を高める伝統工法として、四角錐形の石材とコッパ石による衝撃の吸収、裏ごめ層による排水機能、階段状石列による土留め機能、大量の敷金の使用、その他が指摘されていましたが、北垣論文によって、もうひとつ、安全性を確保するための伝統工法として「矩返し」の技法が確認されたことになります。この「矩返し」をどこまで仙台城で復元できるかは、かなりの技量を要するとのことですので、大きな課題となるでしょう。
石垣の強度を増すための安全対策について、公園課から、@裏ごめの補強、A盛り土の補強、B基礎構造の補強、が提案されました。
@裏ごめの補強とは、耐震用補強ネットを1m間隔で6層にわたり土中に張るということのようです。A盛り土の補強は、セメント系固化剤を混ぜ合わせて土の粘着力を高めるということでした。B基礎構造の補強では、3期石垣の前面土中に8mから15m間隔で、地盤まで抑止杭を打ち込むとのことでした。
今回は主に、A盛り土とB基礎構造の補強について議論がなされました。セメント系固化剤を使うことの是非、抑止杭の効果などで、いくつかの発言がありました。しかし最終的に委員長から、A盛り土の補強については階段状石列だけではダメなのでセメントを入れて版築に代えたい、ただしセメント系固化剤の現物を次回現場で確認する、B基礎構造については石垣の前面に打ち込むので文化財の破壊にはならず、抑止杭の効果もある、というまとめがなされました。
また委員長からは、@裏ごめの補強については、上の建物(艮櫓のこと)、杭との関係があるので、次回に十分議論したいとの提案がありました。
伝統工法と現代工法をどうマッチングさせていくか、なかなか難しくて重い課題ですが、委員の方々が、それぞれのお考えを真摯に述べあっている姿は印象的です。議論になるからこそ、問題点も分かりやすくなりますし、解決に智恵を絞る必要が出てくるのだと思います。しかし根底には、石垣の文化財としての価値をどう守るかという点で、かなり認識の一致が出てきたように思います。
前回の石垣委員会で、新谷委員長と浅田委員から、艮櫓を建てると3期石垣がもたない、由々しき問題だという発言があったことは、すでにウォッチングでお伝えしています。浅田委員は、艮櫓の基礎杭を入れると文化財を守ることにはならないと、極めて明快に指摘されました。安全上からも文化財保護の観点からも、艮櫓は二重の誤りを犯すという指摘です。さらに新谷委員長は、艮櫓の基礎杭の振動に耐えるように石垣を修復すれば、伝統工法では無理なので、市長にはよく考えてほしいとまで提言したのです。もちろん新谷発言の意味は、伝統工法をやめようということではなく、伝統工法で修復しているのだから、艮櫓を建てると石垣がもたないよという、強いメッセージなのです。
これは大変な話だと思います。石垣委員会では3期石垣の安全性をどうやって確保するか、様々な意見が出されているのですが、艮櫓の建設によって、石垣委員会や公園課のこれまでの努力が台無しになってしまうのです。石垣は公園課、艮櫓は観光交流課という、縦割り行政の悪しき側面が、ここに典型的に現れているのです。
それにしても、市当局は、前回委員会の発言を艮櫓委員に伝えているのでしょうか。17日の艮櫓委員会をみるかぎり、石垣委員会の懸念が伝えられている様子はまったくないようです。どうやら各委員会の内容は、相互にほとんど伝えられていないようです。それぞれが独立して蛸壺の検討をしている限り、総合的観点からの検討などできるわけがありません。しかし、そこが市当局の狙いなのかもしれませんが。
昨年10月17日の「仙台城跡調査指導委員会」でも、三委員会が別個に開かれているのは問題で、三委員長からなる合同委員会を作るようにという強い意見が出されていました。しかし、市当局はいまだに無視し続けたままです。公的な委員会の意見を軽視する市当局の態度は、強く批判されるべきでしょう。
このように、委員会での重大意見の数々を市当局は無視し続けています。ここまで頭が固いとは市民にとって不幸極まりないことですが、こうなれば、艮櫓を断念するよう、石垣委員会として決議を採択し、藤井市長に突きつけて頂くしか方法はなさそうです。
石垣の安全を確保する観点から、石垣委員の方々には臆することなく、市当局に、「艮櫓は危険だ」という正論を突きつけて頂きたく思います。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡にしても、青森県の三内丸山遺跡にしても、文化財関係者の頑張りと共に、その保存に大きな役割を果たしたのは、首長の決断でした。ゼネコンの巨大な圧力を跳ね返して遺跡保存の決断をすることが、どれほど大変なことか、テレビでも特集が組まれていました。艮櫓の建設には、30億円近くの血税が使われます。ここまで大問題になっているにもかかわらず、艮櫓の建設を強行するのは、何か深い深い理由があるのでしょうか。
藤井市長は、教育畑出身の文化人市長を自認しておられたのではないでしょうか。もし全国的にも貴重な文化財を破壊し、仙台城の歴史的空間を捏造するようなことになれば、文化人市長の名前が泣くことになるのではないでしょうか。藤井市長には、大英断を切望するものです。
いよいよ次回、艮櫓新築の問題が、石垣委員会で正面から議論されることになりました。最大の山場を迎えることになるでしょう。大いに注目したいと思います。