第2回 仙台城艮櫓復元専門委員会
(02年1月17日)

(文責:平川 新)

 昨年6月の第1回委員会以来、半年以上も開催されなかった委員会です。委員会のご見識を期待しすぎるほど期待した委員会でしたが、午後4時30分という遅い時間に設定されていましたので、ひっとしたらシャンシャン大会にするつもりだろうかという不安も抱いた委員会でした。残念ながら悪い予感のほうが当たり、市民として、誠に情けないの一語につきる委員会でした。

艮櫓の参考になる発掘成果は出ていません

 今回は最初に、文化財課による「本丸跡石垣修復に伴う発掘調査成果」の報告が行われました。これまで文化財課が進めてきた発掘成果についての概括的な報告でしたので、内容は省略します。この報告に対して、飯淵委員から、下記の3点の質問が出されました。
  @これまでの発掘で艮櫓の規模を推定するのに参考になるものがあったかどうか
  A巽櫓の調査状況について
  B艮櫓の柱間の寸法について、大広間の発掘が参考になるのではないか

これにたいして大越文化財課長からは、次のような回答がありました。

@参考になるようなものは発掘では出なかった
A巽櫓には幾つかの石材は残っているが、発掘調査はしていない。5カ年計画のなかで巽櫓の調査も視野に入れている
B大広間の礎石跡は出たが、柱間の寸法を明示できるものは出ていない

 艮櫓は規模を示す史料も絵図もありませんので、ほぼ同規模と推定されている巽櫓の発掘成果を参考にする必要があります。本丸の平場の発掘調査は今年度から文化庁の助成を受けて始まったばかりですし、発掘面積もわずかですので、艮櫓の規模や柱間の参考になるようなものはまだ出ていないわけです。

 また五味委員からは、文化財課が用意した図面について、@2期石垣のC〜D面の角度、AD面の線が3期石垣より奥に入っていることの根拠、B2期石垣の北東の角に線が引かれていない理由について質問がありました。これに対して文化財課の金森主査から個別の説明がありましたが、総じて考古学的に判定できることに即して図示したとの回答でした。

 さらに西野委員の、2期と3期の上場のラインは確定できるのかという質問に対して、大越課長から、現時点では推定根拠となるものは発掘できていないという回答がありました。

 要するに、2期石垣の天端ラインも北東角の形状も、現時点ではよく分からないということです。艮櫓は2期石垣の上にありましたので、発掘調査を尊重する限り、艮櫓を復元するための根拠は何も出てきていないということになります。

驚くべき「基本的考え方」

 続いて議事(1)の「艮櫓の規模・意匠について」に入り、まず、「艮櫓設計の基本的考え方」について渡辺観光交流課長から説明がありました。これがまた何とも驚くべき内容でした。もし艮櫓の新築が強行されることになれば、市当局の不見識を示す「歴史的文書」になると思われますので、末尾にその全文を掲げておきます。ご参照下さい。

基準年代なしに、あれもこれも作ります

 まず、「2」の部分からみていきましょう。第一項で当局は、政宗の時代に二の丸は整備されていないこと、二の丸が整備された綱村の時代には本丸の4基の三重櫓や挾間塀などが失われたことを述べています。そうです。これが歴史的事実なのです。

 しかし第二項では、「仙台城の全体的な復元を視野に入れながら取り組」むためには、「その時代設定にある程度の幅をもたせて考えることが必要となる」と述べています。これはどういうことでしょうか。

 艮櫓は、地震で2期石垣が崩壊する1646年(正保3)までの、わずか20数年しか存在しなかったものです。修築された3期石垣の上に再建されることはありませんでした。もし艮櫓を復元するのであれば、これが復元の基準年代ということになります。艮櫓以外にも何か復元しようとするのであれば、艮櫓のあった時期の建物を復元しなければなりません。しかし、この時期の本丸の大広間や脇櫓がどの程度の規模であったのかは、まったく不明だというのが現在の状況です。当局はどうやら、17世紀末に作成されたと推定されている「肯山公造制城郭木写之略図」を復元の根本資料としているようですが、仮にこれを基準にしたとしても、これが作成された時に艮櫓は存在していません。したがって当局が、「時代設定にある程度の幅をもたせて」という意味は、艮櫓は作りますし、艮櫓のなかった時代の他の建物も作ります、ということのなです。

 本丸の大広間や脇櫓などは政宗の時代からあったではないか、と当局は言うかもしれません。しかし、艮櫓の存在した時期の建物の規模や形状は何一つ分かっていないのです。「肯山公造制城郭木写之略図」はあくまで17世紀末と推定されているもので、この図面をもって政宗時代の建物を復元する根拠とはなりません。もしこの図を根拠にするのであれば、本丸跡を広く発掘調査し、調査成果と同図との突き合わせをした上で、同図の史料価値を確定する作業が必要なのです。

 文化庁は史跡の復元にあたっては、基準年代を設定するよう指導しています。ある限定された歴史的時期を設定し、その時期に存在した建造物を復元するようにということです。そうでないと、あれもこれも復元するということになって、本当はなかった建物が同時に存在したかのような、異様な非歴史的空間を捏造することになるからです。「2」の第二項で述べていることをみる限り、仙台市当局がやろうとしていることは、まさにこれです。

根拠はないけど作ります

 「2」の第三項では、3期石垣以前の石垣について「その上端部の位置などが不明である」と述べています。また第四項では、「艮櫓は正保・寛文の地震などによって櫓やその敷地自体が失われており、遺構や設計図・写真など、厳密な意味での復元を可能とするものも遺されていない」と明言しています。まさにその通りです。しかし続けて「修復石垣の北東角にかつて櫓があった旨を記す絵図(天和の城絵図/「奥州仙台城并城下絵図」天和2年)や、石垣の北東角に櫓の再建を計画するもの(肯山公造制城郭木写之略図)がある」と書いています。

 これに続けて第五項で「仙台城艮櫓復元設計は、こうした認識に立ち」、「『修復石垣の北東角に』」、できる限り『もとあったであろう姿』をもとにして建設しようとするものである」と述べていますので、「天和の城絵図」と「肯山公造制城郭木写之略図」を根拠に艮櫓を建設するつもりのようです。

 確かに「天和の城絵図」では、北東角地を指して「此所元櫓有」と記入されていますが、同図は1682年の絵図で、そこに描かれているのは3期石垣です。艮櫓があったのは2期石垣ですから3期石垣の上に艮櫓があったわけではありません。単に、北東角地にかつて艮櫓があったということを示すものにすぎないのです。それとも当局は、この図が3期石垣の上に艮櫓があった証拠だとでも言うつもりなのでしょうか。それならそれで大論争になるでしょうし、大論争をするべきでしょう。また「肯山公造制城郭木写之略図」については、前述のように、まだ発掘調査との突き合わせが極めて不十分です。

 当局は、艮櫓を復元するための根拠となる「遺構や設計図・写真など」はないと明言しています。要するに史実は分からないと言っているのです。しかし一方で、根拠にもならない「天和の城絵図」を引っ張りだしたり、史料価値も確定していない「肯山公造制城郭木写之略図」などを引き合いに、艮櫓の新築を強行するつもりのようです。そのような不確定なものを根拠に、「復元」と称して新築されたのでは、仙台城本丸の歴史的空間は、みるも無惨な光景をさらすことになるでしょう。

なぜ「寛文の城絵図」を無視するのですか

 「3」の「.規模・意匠の考え方」の項目では、「修復石垣の測量データによる検討」や「肯山公之略図」「天和の城絵図」「仙台城本丸大広間・大手門・大手門脇櫓」などのほか、「過去の類例の検討」をもとに設計するとあります。しかし、これも根本的に間違っています。

 「修復石垣の測量データによる検討」というのは、艮櫓のあった2期石垣ではなく3期石垣のものです。「天和の城絵図」も「肯山公之略図」も3期石垣時代のものです。図面のある「仙台城本丸大広間」については艮櫓時代のものとの確認は取れていませんし、「大手門」についても建設時期に諸説があります。「大手門脇櫓」も3期石垣上のものです。

 2期石垣の上にあった艮櫓を復元するのに、3期石垣やその時代の建造物のデータが根拠になるのでしょうか。もし当局が言うように、「できる限り『もとあったであろう姿』」を探求するのであれば、2期石垣の形状を描いた「寛文の城絵図」をこそ、最大限に尊重すべきではないのでしょうか。

 ただ、この「寛文の城絵図」は艮櫓の姿を描いた「正保の城絵図」と同様に、2期石垣の北東角は直角ではなく、二折れに書かれています。この石垣の上に艮櫓はあったのですから、その形状は市の設計図とは全く異なっていた可能性が高いのです。なぜ市当局が参考として「寛文の城絵図」を出さないのか、おそらくこうした理由によるのでしょう。「できる限り『もとあったであろう姿』」にすると言いながら、もっとも重視すべき絵図を検討しないのですから、そのいい加減さにはあきれます。

 また「過去の類例の検討」ということで、設計を担当した営繕課から、規模・階高・軒廻り寸法などについて、全国の天守や櫓に関する39カ所のデータが出されていました。その労は多としますが、仙台市はいったい何を作るつもりなのでしょう。全国の類例を探し、それに似たものを作るというつもりのようです。

 歴史的建造物の「復元」というのは、あちこちにあったものを参考にして、それに似せたものを作るということではありません。仙台城にあったものを、もとあった通りに再現するから「復元」なのです。それが仙台城の個性ですし、歴史的価値をもつものでしょう。とにかく似たものを作ればよい、とお考えのようです。これは文化財行政の最も悪い見本となるでしょう。 

 確かに艮櫓の規模も形状も確たる根拠がありませんから、当局としては3期石垣その他にすがりつく以外にないのかもしれません。しかし、そもそもの大問題は、なぜそのような不確かなものを無理して建てようとするのかということです。仙台城には、確かな図面の残された建造物が艮櫓以外にも、いくつもあります。今後行われる予定の発掘調査と突き合わせれば、それこそ文化庁のいう「復元」に該当する歴史的建造物を「復元」することができるではないですか。

政宗が泣いています

 観光交流課長の説明に続いて、設計を担当している営繕課から、(1)艮櫓の規模・意匠について、の説明がありましたが、艮櫓の歴史的根拠を示すデータではなく、ただ作りたいがための、上述のような数字の列挙でした。また(2)基礎部の構造について、の説明もありましたが、予定通り、一期石垣遺構を破壊する6本のパイルを打ち込むそうです。

 また、パイル打ち込みに伴う埋設物調査の図面も出されていましたが、パイルが一期石垣遺構を破壊する部分では、直径2メートルのパイルの幅しか調査しないことになっています。これでは調査などと言えるものではありません。

 開府四百年の記念事業で、自分の作った石垣遺構を無惨にも破壊され、調査も十分にされないまま無視されるのですから、天上の政宗も嘆いていることでしょう。

石垣に影響は少ないと、委員が賛意
  石垣委員会の見解と対立

 こうした、誠に驚くべき方針が次々に出されてきましたので、ただただ唖然とするばかりでしたが、さらに唖然としたのは、委員の発言でした。源栄委員は、当局案に、石垣への影響も少ないので「この案でよい」と全面的に賛意を表していました。どうやら石垣委員会で指摘された問題点を、何ひとつ事務当局から知らされていないようです。

 昨年10月11日の第5回石垣委員会では、浅田委員が、「伝統工法では300年もったが、櫓を建てて杭の振動が入ると、我々は(その影響が)まったく分からない。艮櫓を建てて(石垣が)もたないときは我々の委員会は何をやっとるんだということになる。別な委員会(艮櫓委員会)で基礎杭を入れるということになると文化財を守るということにはならない。その辺の一貫性はどうなっているのか」と述べています。また新谷委員長も、「櫓が石垣の上に乗っかって基礎杭をやれば、由々しき問題になると私は思う。杭が振動によってどこまで影響するかを考えると、伝統工法ではなくなってしまう。そのあたりは市長には考えてほしい」と発言しています。

 つまり、3期石垣の上に艮櫓を建てると、その影響がまったく分からないし、由々しき問題になると警告を発しているのです。「石垣に影響が少ない」と言われる源栄委員をはじめ、艮櫓委員会の委員各位におかれては、ぜひとも石垣委員会と議論をして頂きたいものです。

 もう一つ源栄委員の発言で驚いたのは、「40年に一度の地震で、地上部分は修復しても下の部分は補修しなくてもすむようにしてほしい」と述べている点です。櫓は壊れても基礎は壊れないように強くということですが、櫓が壊れるほどの地震であれば六本のパイルが大きく揺れて、石垣に大きな影響を与えるであろうことは容易に推測できます。だからこそ、石垣委員会では艮櫓の建設に疑問が出ているのです。櫓と石垣が壊れても六本のパイルだけは大丈夫なように、と言っていることと同義ですね、この発言は。本末転倒というしかありません。

 ちなみに、第5回石垣委員会で土木工学の浅田秋江委員は、解析結果では櫓のパイルは石垣に影響を及ぼさないと発言した観光交流課長に対して、「解析は解析でしょ」と反論し、シミュレーションの不確実さを厳しく指摘していることも紹介しておきます。

 源栄委員のご専門は耐震工学とのことですが、同じ土木系であっても、これほど見解の相違があります。しかしこの委員会で源栄委員も、櫓土台の変形の解析について、「解析をやった結果というのは、あくまで幅を見込まなければならない」と発言しています。やはり、解析結果を過信してはいけないということでしょう。市当局が依拠するデータとは、この程度のものなのです。

パイルの劣化に、どう対応するのでしょうか

 それにしても当局や艮櫓の委員にぜひともお尋ねしたいのは、コンクリートは何年もつとお考えなのかということです。地震によらずとも、コンクリートが劣化することは、あちこちで剥落事故が発生していることから明らかです。コンクリートの歴史は短いですね。

 6本のパイルが劣化して基礎杭としての役割を果たさなくなったとき、この土中に埋め込まれたパイルをどうするおつもりなのでしょうか。

 もちろん櫓は壊さなければなりません。土中に埋め込んだままでは、櫓を建て直すこともできないでしょう。ということは、また地下を掘り返してパイルを打ち直さなければならないということになります。パイルだけをうまく引き抜くというのも難しいでしょうから、まわりの土を掘削することになると思いますが、そうすればますます1期石垣遺構は破壊の危機にさらされ、3期石垣にも影響が出ることでしょう。こういうことを繰り返していくおつもりなのでしょうか。

 数十年後にパイルが劣化してもたなくなったら、また立て直せばよいとお考えなのでしょうか。それが可能だとお考えなのでしょうか。

文化財保護の視点が完全に欠落しています

 また佐藤巧委員長の、「3期石垣の保全と櫓の安全性を両立させるためには、クイ形式がベスト」という発言も見逃すことはできません。櫓の安全性のためのパイルが、全国的にも貴重な1期石垣の背面遺構を破壊することを少しも気にしておられないようです。この発言をみる限り、1期石垣の保全はまったく念頭にないと理解せざるをえません。石垣委員会では土木工学分野の委員ですら、文化財としての価値をどう守るかに苦慮しておられるのに、建築「史学」がご専門であるにもかかわらず、文化財の保護に、とんと無頓着であられることに驚きました。

 この委員会にはもうお一人、建築史学がご専門で、しかも市の文化財保護審議会の委員である方がおられます。しかし、やはり1期石垣遺構の保全に関する発言はまったくありません。いったい何を保護するおつもりなのでしょうか。
 じつは佐藤巧委員長も、2年前まで、市の文化財保護審議会の委員長でした。

ニセモノやぐらは、何の「シンボル」になるのでしょうか

 ところで、事務局の「基本的考え方」の「1」には、艮櫓の新築について、「失われた歴史的蓄積を蘇らせていく取り組み」であるとか、「仙台城のあるべき姿の再現に向けた取り組みの先駆け」、また「将来に受け継がれているくシンボル的な役割も持つ」といった、美辞麗句が列挙されています。

 歴史的に存在しなかった場所に、あちこちの天守や櫓をまねて偽造したものを、仙台城の「歴史的蓄積」の蘇りなどというのは詭弁ですし、そのようなニセモノを建てることが「仙台城のあるべき姿の再現」などいうのであれば、本当に情けないことです。ましてや、毎日、ニセモノやぐらを見させられる市民にとって、どうしてそれが「シンボル」になるのでしょうか。むしろ、市当局の愚行を将来にわたって証明し続ける「シンボル」にしかならないでしょう。仙台城がもつ「歴史的蓄積」を本当に蘇らせるとはどういうことか、市当局には真剣に考えて頂きたいと切望します。

巽櫓の発掘調査によっては設計変更も

 もうひとつ、重大な発言を紹介しておきましょう。渡辺観光交流課長は、「巽櫓の発掘調査の結果次第では、設計図に再検討の余地を残している」と発言しました。どういうことでしょうか、これは。

 巽櫓の遺構は、文化財課による本丸跡学術調査(五カ年計画)の対象になっています。その調査結果次第では設計変更もありうるということのようです。ならば、なぜ巽櫓の遺構調査が終わるまで待たないのでしょう。予算消化の問題があるというのでしょうか。予算消化のために、実施設計を発注し、巽櫓の調査が終わったらまた設計し直すというのでしょうか。この発言は、現在、市当局が進めている艮櫓の規模・形状に全く根拠がないことを、はからずも露呈するものでした。そのようないい加減なことで、市民の血税を無駄遣いして頂きたくはありません。

仙台城跡調査指導委員会に何と回答するのでしょう

 昨年10月17日に開催された仙台城跡調査指導委員会では、艮櫓の規模や間尺に関する疑問が次々に出され、その根拠について、艮櫓委員会に回答を求めることが全会一致で確認されています。質問内容は事務当局が艮櫓委員会に伝えることになっていましたが、はたしてこの質問は艮櫓委員会に伝えられているのでしょうか。

 これまでの艮櫓委員会の審議をみる限り、とても納得を得られる回答になるとは思われませんが、調査指導委員会に、どう回答するおつもりなのでしょう。

まさか事務当局が、この公式な質問を握り潰しているわけではないと思いますが。

艮櫓の委員も歴史的責任を問われます

 以上のように、今回の委員会では、艮櫓新築計画に関する市当局のズサンさが、ますます明らかになってきました。

 しかし、問題は当局だけではありません。この艮櫓委員会は、今回、このようなズサンな新築計画にお墨付きを与えました。市当局と同様の責任があります。

 もし艮櫓の新築がこのまま強行されるのであれば、文化財の破壊、歴史の偽造に関する歴史的責任を、委員各位も負わなければならなくなるでしょう。

私たちの質問書に、なぜ回答できないのでしょうか

 昨年6月、私たち「仙台城の石垣を守る会」は当委員会に対して、設計図に関する歴史的根拠等について質問書を提出しました。その回答はいまだ頂いておりませんので、この委員会の最後に、佐藤巧委員長に対して、質問書への回答はどうなっているのですか、いつ回答を頂けるのですか、と尋ねましたところ、驚くべきことに佐藤委員長は、回答は事務局のほうに任せております、との返事でした。

 いやあ、ここまで無責任だとは本当に驚きました。たまりかねて、返事はちゃんと出して下さいよ、私たちは正式に出しているのですからね、と声を張り上げざるを得ませんでした。

 市の計画は艮櫓委員会の委員と密接な連携のもとに作られていますので、それは委員会の計画だと言ってもよいでしょう。その設計図に何の歴史的根拠もないことは、ますます明らかになっていますので、歴史的根拠は何だという私たちの質問に答えられないのは、当然かもしれません。

 歴史的事実を尊重しなければならない建築史の研究者が、かくもずさんな計画を市と手を携えて強行しようとしていることは、本当に情けなくなります。

委員の方々は歴史の捏造に手を貸すのをおやめ下さい 

 かつて、各地に根拠のない模擬天守閣が作られたことがありましたが、ここ十数年は史実に基づいた復元計画が主流になってきています。その地域の歴史を歪めたのでは、観光面でも市民の歴史認識の面でもマイナスですので、その反省に立った流れなのですが、どうやらこの仙台では、市当局も建築の専門家の方々も、数十年前の意識をそのままお持ちのようです。

 しかし、仙台城の石垣と艮櫓問題は、もはや仙台だけの問題ではありません。全国の歴史学会、文化財学会、考古学会が、文化財破壊と歴史の捏造行為だとして、あげて抗議文を市当局に提出しているほどの大問題なのです。

 それだけではありません。昨年10月には、国際交流基金が招聘したアジアのジャーナリストと社会問題研究家たちが、仙台城における文化財破壊と艮櫓の捏造問題に大いに関心を示し、わざわざ私たちにレクチャーを求めてきたほどなのです。彼らは、なぜこのような馬鹿げたことがおこなわれているのだと、驚きの声を隠しませんでした。

 いまからでも決して遅くはありません。委員の方々には歴史の偽造に手をかすことを、ぜひともおやめ頂けないでしょうか。むしろ、その英断のほうこそ、歴史的に高い評価を受けることになるのではないでしょうか。


                           02,1,17艮櫓委員会資料
                              観光交流課作成

       資料1「仙台城艮櫓設計の基本的考え方」

1.事業の背景と意義

○本市の発展は、仙台藩の城下町として開かれたことに始まる。

○その中心である仙台城は、幾多の災害や改変を受けながらも、仙台の原点・精神的支柱として歴史を刻み続けてきた。

○都市の個性が改めて評価される時代荏迎え、都市の歴史を感じさせる、奥行きの深い魅カを形成していくという観点から、失われた歴史的蓄積を蘇らせていく取組みが求められている。

○「石垣修復・艮櫓復元事業」は、仙台城のあるべき姿の再現に向けた取組みの先駆けをなすものであり、将釆に受け継がれてし、くシンボル的な役割も持つ。

2.艮櫓復元設計の基本的な考え方

 ○仙台城は初代政宗公の築城にはじまり、二代忠宗公の二の丸造営を経て四代綱村公の時代に最盛期を迎えた。本丸が整備された政宗公の時代に二の丸としての整備はなされておらず、二の丸が完成したとされる綱村公の時代の本丸では、4基の三重櫓などの建築物や狭間塀などが失われている。

 ○このように各郭が整備されていた時期には数十年のずれがあるため、仙台城の全体的な復元を視野に入れながら取組みを進めていく上では、その時代設定にある程度の幅を持たせて者えることが必要となる。

 ○現在、本丸北側で進められている石垣の修復工事が完了すると、本丸北側の外郭の姿は綱村公の時代(天和年間完成)のものとなることや、それ以前の石垣については、その上端部の位置などが不明であること、発掘された部分もその保護のために埋め戻されることなども踏まえておくべきである。

 ○艮櫓は正保・寛文の地震などによって櫓やその敷地自体が失われており、遺構や設計図・写真など、厳密な意味での復元を可能とするものも遺されていないが、修復石垣の北東角にかつて櫓があった旨を記す絵図(天和の城絵図/「奥州仙台城并城下絵図」天和2年)や、石垣の北東角に櫓の再建を計画するもの(肯山公造制城郭木写之略図)がある。

 ○仙台城艮櫓復元設計は、こうした認識に立ち、仙台城の雄姿を部分的ではあるが蘇らせようという意図に基づき、「修復石垣の北東角に」、できる限り「もとあったであろう姿」をもとにして建設しようとするものである。

3.規模・意匠の考え方

 艮櫓の規模・意匠については、2.に記した時代の仙台城の建築物に関する文献資料などの調査・検討を通して往時の姿を可能な限り追及することにより、仙台城の城郭建築としてふさわしく、かつ市民・ビジターの利用面にも配慮するものとして建設する。

@平面規模・形状
 ○修復石垣の測量データによる検討(天端石による修復石垣上の桁行方向)
 ○肯山公之略図のCADデータ解析による検討(石垣角地上の計画規模、平面形状)
資料1「仙台城艮櫓設計の基本的考え方」
 ○天和の城絵図の検討(修復石垣上の櫓揚の規模・平面形状)
 ○仙台城本丸大広間・大手門・大手門脇櫓の検討(1間の大きさ)
 ○垂木割から見た平面規模の検討(2階・3階の低減)
 ○過去の類例の検討(規模、2階・3階の低減)

A階高
 ○過去の類例の検討
 ○利用面からの検討

B意匠
 ○正保の城絵図の検討(三重屋根、軒反り、東西棟、入母屋造、腰板、窓、石落し
など)
 ○仙台城大手門・大手門脇櫓の検討(婁飾り、軒反り、腰板など)
 ○過去の類例の検討(軒反り、内部構造など)

 


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TOSHIAKI Yanagihara tyana@sal.tohoku.ac.jp