3月10日に市民会館で開催されたシンポジウムの報告

 

    2001.03.22  鈴木雅

 3月10日に開かれた「政宗公の石垣を守ろう―市民の集い―」。仙台城をめぐる一連の問題に関して、最近は一部の専門家だけの内向きな議論との評価も聞かれた中、市民団体「美しい仙台を創る会」の呼びかけで開かれた市民集会には210名の市民が詰め掛け、市民の関心の高さを明らかにしました。集会は歴史学者を招いた勉強会のほか、腹話術や演劇を交えた今までにないスタイルで展開され、仙台城跡の石垣修復と艮櫓復元の問題点を多くの市民に訴えました。

 仙台城をめぐる一連の問題は決して専門家だけの問題ではなく、歴史学・考古学といった学問の枠組みを超えた市民共有の問題です。これまで緊急討論会やシンポジウムなどで行政の問題点を市民に明らかにしてきた専門家の努力が、ついに市民運動に発展しました。今後は、市民とともに考えようとする行政の努力が、仙台の街づくりの将来を握っていることは言うまでもありません。

政宗公の石垣を守ろう−市民の集い− <参加報告>

専門家による勉強会、演劇、腹話術… 市民210人が参加

 「政宗公の石垣を守ろう−市民の集い−」と題した市民集会が3月10日、市民団体「美しい仙台を創る会」(関敏ひこ代表)の主催で開かれた。仙台市が進める仙台城本丸跡の石垣修復工事と艮櫓復元事業の問題点を明らかにしようと、仙台市青葉区の市民会館で開かれた集会には市民210名が参加し、専門家の説明などに熱心に耳を傾けた。

 集会でははじめに創る会の関敏ひこ代表が今回の集会の趣旨を説明。「美しい仙台を創る会は環境オンブズマンを目指している。街には根が同じ問題がいくつもあり、方々で活動している市民団体相互の橋渡しをしたい。」と挨拶した。歴史学者らでつくる「仙台城の石垣を守る会」代表として挨拶に立った平川新東北大学東北アジア研究センター教授は「仙台開府四百年記念に政宗の石垣を壊し、偽物の櫓を作るということがあって良いのか。仙台市に文化行政はあるのか」と仙台市の姿勢を厳しく批判した。

 城谷護さんによる「腹話術のゴローちゃん」では、「東京から見にきて、全然仙台の歴史と関係ないものがあったらおかしいよね」「ないものを作って本当に仙台の宣伝になるのか」と仙台市の艮櫓復元事業に疑問を投げかけ、「天守閣を建てず、街づくりに力を注いだとすれば、それこそ誇りある歴史ではないのか」と市民に訴えた。

 「パソコンによる仙台城石垣と艮櫓の勉強会」では、仙台市内の主婦の大内かおりさんが市民の立場から歴史学者らに質問。「仙台城の石垣に3時期あると聞いたが具体的にはどういうことか」、「そもそも艮櫓とはどういうものか」などの疑問に対 し、斎藤善之東北学院大学助教授と千葉正樹東北大学助手が発掘調査の成果や艮櫓などについて解説した。

 このあと仙台市内の劇団「新月列車」による演劇「石の声」が披露された。演劇では江戸時代に仙台城の石垣を築いた石工の子孫と現代の若者の対話から、仙台城の石垣と艮櫓の関係などを分かりやすく紹介。歴史を正しく伝えることの大切さを描き出した。

さまざまな問題点指摘

 3時期ある仙台城本丸跡の石垣のうち、最後に築かれた現存の3期石垣は三百数十年間何ともなかったが、1960-70年代になって「はらみ」が目立つようになった ――。千葉助手は一連の石垣修復工事の発端について説明し、「はらみの原因ははっきりしていないが、そばを走る市道の交通量増加が地盤に与えた影響も一因とも考えられている」と続けた。市道の敷設がなければ、将来にわたって石垣は半永久的に保たれたのではないか…。当時の石垣構築の技術力の高さを思い知る。

 石垣の修復工事では普通石垣の前面から順序良く解体していくが、仙台城の場合はすぐ横を通る市道が八木山方面と市街地をつなぐ重要な生活道路のため、石垣前面に作業スペースを確保できなかった。このため仙台市は裏側の土砂を取り除きながら石垣を解体していくという工法を選択。千葉助手は「結果的には、この特殊な工法が古い石垣の発見につながった」と解説する。

 石積み工事開始後に明らかとなった石材の形状の問題では、斎藤助教授が「石材と裏込め石は歯と歯ぐきの関係。地震の際には裏込め石がクッションの役割を果たす柔構造になっているが、仙台市が積んでいる新補材は直方体で裏込め石の入る隙間がないため力の逃げ場がなく、地震に耐えられない」と指摘した。

 創る会は2月下旬、仙台市に仙台城本丸跡の石垣修復工事に関する質問書を提出。これに対して市が示した回答書に添付された工法を説明する断面図によると、石垣の背面構造を伝統工法と大きく異なる工法で修復する構想が明らかになった。これによると石垣の裏側は何層にもわたり丁寧につき固めた「版築工法」と呼ばれる伝統工法をとらず、セメント系固化剤やシートを使用するほか、水抜きのための新たな構造体を埋め込む計画という。

 創る会では現存石垣が三百年間持ちこたえてきた実績から、長持ちさせると言う意味では伝統工法が優れていると主張。「数十年で作り替えることを前提としたコンクリートによる現代工法を採用していること自体、市が修復によって石垣をどの程度長持ちさせることを想定しているかは疑問」と訴えた。

 斎藤助教授らは、3期石垣上への早期復元を要望してきた仙台商工会議所の村松巌会頭が「(当時の藩主)伊達綱村公も北東角に復興するつもりだったのだろう」と話したことや、藤井市長が艮櫓の建設位置発表の際に「仙台藩の為政者がどういう城を築きたかったかも考慮し、結論を出した」と話したことに対し、「仙台には城下町の面影を保存してこなかった歴史があり、その代替として艮櫓が建設されようとしている」と指摘。「当時、天守閣の建設に目を向けず、街づくりに力を注いだ政宗の心意気を大事にしたい」と訴えた。

 艮櫓は1616年(元和2年)の大地震で1期石垣が崩れたあと、新たにつくられた2期石垣の上に建てられた。しかし30年後の1646年(正保3年)の大地震で艮櫓は2期石垣とともに崩壊し、その後再建されていない。艮櫓の様子を現在に伝えるのは正保2-3年(1645-46)に描かれた「奥州仙台城絵図」だけだが、艮櫓と同規模とされ、遺構の残存している仙台城本丸南東部の巽櫓は建坪25坪程度で高さは12m程度とされる。

 ところが、仙台市の計画では建坪46坪、高さ15mの櫓を建設することになっている。巽櫓と比較すると高さが1.2倍、建坪が1.8倍になっている。また、最新の発掘成果や絵図との対比から、艮櫓の平面形は仙台市の計画にあるような正方形ではなく、菱形あるいは五角形であった可能性も指摘された。このため創る会では「(艮櫓の復元計画は)位置、形状、規模のすべてにおいて史実を無視している。歴史の気に入ったところだけをつまんで、都合の良い歴史をつくっていいのか」と批判した。

手を広げて横のつながり強く

 創る会と歴史学者、市民を交えた自由討論の中で創る会の関代表は「今後は手を広げて横のつながりを強くし、市民の声を大きなものにしていきたい」と発言。集会に参加した小野寺信一弁護士は「石垣の石材は役所で、裏込め石は市民。両方が噛み合って支えあうことで街づくりは成り立っている。市が築こうとしている裏込め石のない石垣は、市民を排除した市の姿勢そのもの。その上に『仙台のシンボル』としての艮櫓がつくられようとしている」と続けた。

 千葉真弓氏は、仙台城の問題を市民向けに解説した小冊子「艮櫓と石垣のとっかかりマンガ」の作者。艮櫓問題に関連した仙台商工会議所の村松巌会頭の「平成の仙台城は藤井城主が好きなところに建てれば良い」という発言に違和感を感じ、運動に参加したという。千葉氏は「私たちは選挙で市長を選んだが、城主を選んだ覚えはない。市の方針に反対なら声をあげるべき。私たち市民が負けるのは諦めて黙った時」と訴えた。

 会場の市民からは「連絡協議会を設置し、署名活動や住民訴訟など、よりはっきりした形で市に問題提起すべき」、「市民センターを活用し、市内各所で勉強会を開いて欲しい」などと積極的な意見が出された。

 討論の終わりに読み上げられた創る会からの提案では、伝統工法によるとした市長の約束と異なる仙台城の石垣改修は石垣を築いた先人に対して失礼であり、史実と違う櫓建設は仙台城を訪れるお客様に失礼であるとした上で、市が文化財として指定していない仙台城を市民が文化財に指定すると宣言。今後は工事の一時凍結を求める署名運動やホームページでの情報発信、専門家を招いての勉強会などを実施することを明らかにし、「仙台の歴史的な構築物や景観・町並み、環境などを市民が主体となって守っていかなければならない」と提言した。


*鈴木雅さんのご了解を得て、「みやぎ文化財発掘出土情報」HPから転載させていた だきました。


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TOSHIAKI Yanagihara tyana@sal.tohoku.ac.jp